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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
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ファミコンと言えば、カセットだけでは楽しめないゲームも数多くありましたね。例えば、キーボードを使ってゲームプログラミングや音楽制作などをするファミリーベーシックや、ゲーム画面と連動させて、付属のロボットを遠隔操作するロボットゲームもあった。これ以外にも、特別な機器を使って楽しむファミコンソフトがいくつかありました。





『ワイルドガンマン』

今から丁度30年前の1984年に任天堂から発売されたガンシューティングゲーム。所謂西部劇の早撃ちを体現できるアクションゲームですが、これを楽しむには、カセットに付属する光線銃が必要だった。早撃ちと言えば、腰のホルスターから素早く銃を引き抜いて相手を撃つので、専用のホルスターも付属されていました。7000円以上もする高額なソフトで、発売当時まだファミコンを持っていなかったので友達の家で何度かやらせてもらったが、抜いて撃つと言う単純な作業のわりに、中々うまく当てることができなかったような・・・。子供だったから難しそうに見えたけど、今なら余裕で何人も倒せそうな気が(汗)。

当時、私はこれしかやれなかったのですが、光線銃を使ったソフトは、他にもありました。カモ撃ちやクレー射撃を楽しむ「ダックハント」や、画面に登場する警察官、市民、ギャングのパネルの中から瞬時にギャングを見つけて射撃する、ダーティハリーや昔の日本のアクション刑事ドラマでもよく見られた射撃訓練シーンを再現したような「ホーガンズアレイ」と言うゲームもあったそうです。













『アスレチックワールド』

1986年、バンダイが専用のマットの上に立ち、手足を使って操作をする体感ゲーム「ファミリートレーナー」シリーズを発売。その第一弾のソフトとなったのがこのアスレチックワールドでした。付属のマットは、両面仕様になっていて、このゲームはそのA面を使用して遊ぶ。これも当時8000円以上もする代物だったので、この時ファミコンは持っていたけど、購入は不可能と言うことで友達の家でやらせてもらいました。子供だったからわりと器用に動けたけど、今やったら、運動不足の解消に最適なゲームになりそう・・・(苦笑)。

他にもマットB面を使って100メートル走や走り幅跳びなどの陸上競技を体感できる「ランニングスタジアム」や、エアロビクスダンスを体感する「エアロビスタジオ」など、合計10タイトルのトレーナーシリーズが発売されています。1987年に、当時大人気を博した一般視聴者参加型アトラクション番組「風雲たけし城」がこのシリーズでゲーム化され、「突撃!風雲たけし城」と言うタイトルで発売された。CMで見た時は面白そうだからいつかやってみたいと思っていたが、結局未だにやったことがない…(苦笑)。それにしてもCMで言ってた認定証ってなんだ・・・!?












『アルカノイド』

ブロック崩しの定番のアルカノイドと言えば、当時、どこのゲームセンターに行っても必ず見かけた人気のアーケードゲームでしたが、1986年、タイトーがついにファミコン版を発売しました。ファミコンのコントローラーでもバウス(ボールを打ち返すラケット)の操作ができたが動きが非常に鈍かった。ゲームを開始して時間が経過してくると、しだいにエナジーボールのスピードが速くなるので、コントローラーの操作では、その速さについていけなくなる。と言うことで、ファミコン版には、専用のダイヤル式コントローラーが付属されていた。これ当時5500円と、通常のソフトと比べると若干お高めでしたが、これは買ってうちでよくプレイしました。ダイヤル式コントローラーも最初のうちは使い勝手が悪くて慣れるまでに時間がかかったが、使いこなせるようになるとまあ楽しい。しかし、当時ワープなども使って最高で10面ほどしか進めなかった・・・。










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容量アップ!? ファミリーコンピュータ ディスクシステム
1986年、ソフトの数が豊富と言えるファミリーコンピュータですら、任天堂は「ここからの先は厳しくなる」事を予知し、1986年2月、任天堂は磁気ディスクカードでファミコンがプレイ出来る周辺機器「ディスクシステム」をリリースする。PWM音源の搭載、ファミコンソフトの書き換えサービスである「ディスクライター」、ディスクカードに保存されたスコアやセーブデータを任天堂とやり取りする事が可能である「ディスクファックス」等が実施されていた。

ディスクシステムの発売当時は「カセットからディスクカードの時代へ」とカセットから磁気ディスクへの期待もかけれており、「スーパーマリオブラザーズ2」、「ゼルダの伝説」、「リンクの冒険」、「メトロイド」、「光神話 パルテナの鏡」 、「謎の村雨城」等を全て、ディスクカードで発売させ、ディスクカードはロムカセットに代わる物として騒がれていたものの、その栄光は短い物で終わった…。

その理由としてはロムカセットの低コスト化(容量、セーブ機能、拡張音源)、ロムカセットや磁気ディスクを遥かに上回る光ディスク(PCエンジン CD-ROM2やメガCD)の登場もあって、ディスクシステムの存在意義は失われてしまい、1992年を持ってディスクシステムのソフト供給を打ち切った…。

マイケル村田 2016/04/01(Fri)21:02:10 編集
Re:容量アップ!? ファミリーコンピュータ ディスクシステム
>1986年2月、任天堂は磁気ディスクカードでファミコンがプレイ出来る周辺機器「ディスクシステム」をリリースする。PWM音源の搭載、ファミコンソフトの書き換えサービスである「ディスクライター」、ディスクカードに保存されたスコアやセーブデータを任天堂とやり取りする事が可能である「ディスクファックス」等が実施されていた。

ツインファミコンを買って、ディスクでも遊べるようになってからは、ディスクライターが置いてあるお店に行って、よく書き換えをしましたね。弟が「仮面ライダーBLACK」をクリアした後に、それをリンクの冒険に書き換えて遊んでいた記憶があります(苦笑)。


>ディスクカードはロムカセットに代わる物として騒がれていたものの、その栄光は短い物で終わった…。

本当に短命でしたよね。ソフトのタイトル数も86年から92年にかけて発売された数が198本とカセットの約1/5程度しか出なかったし、カセットよりも2年早く発売が終了しているし。1990年にスーパーファミコンが発売されましたが、それも衰退の一因だったのでしょうかね。


>その理由としてはロムカセットの低コスト化(容量、セーブ機能、拡張音源)、ロムカセットや磁気ディスクを遥かに上回る光ディスク(PCエンジン CD-ROM2やメガCD)の登場もあって、ディスクシステムの存在意義は失われてしまい、1992年を持ってディスクシステムのソフト供給を打ち切った…。

1987年にPCエンジンが発売されましたが、その時すでに光ディスクの時代が到来していたんですよね。磁気ディスク(フロッピーディスク)は、その後、ワープロやパソコンの記憶装置として残りましたが、今やワープロ専用機はなくなり、パソコンからもフロッピーを標準装備する機種が消えてしまいました。短命ながらも7年間続いたディスクシステムの時代。今となっては、中々貴重な経験でしたね(笑)。
【2016/04/27 12:10】
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