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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
2025/06月

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バンダイと言えば、ファミコンが世に出る前までは、ガンダムのプラモ、変身ベルト、超合金など色々とお世話になっていましたが、まさか、後にナムコと合併する事になろうとは、あの当時は、想像すらしませんでした…。当時人気だったアニメ作品を中心に次々とソフトを出していたと思いますが、残念ながらプレイしたのは、数本ほどしかない。よく覚えているのは、『キン肉マン』『オバケのQ太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』の3本。あと、『ファミリートレーナー』と言うマットを利用して、遊ぶゲームもよくやった。おそらく、一番最初に出た『アスレチックワールド』だったと思うが、友達の家の部屋で騒ぎながら遊んだのを記憶しています。このシリーズで当時放送されていた人気バラエティ番組『風雲!たけし城』のシリーズも出ていたが、一度もやれなかったのが残念だった。しかし、このファミリートレーナーシリーズが最近Wiiで復活したらしいです。

藤子アニメ作品は、『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』など、メジャー系は、ほとんどソフト化されていました。バンダイで発売された『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』は、誘拐された仲間を1ステージごとに1人ずつ助け出して行くアクションゲームだが、中々難易度が高かった。操作方法が中々理解できず、空を飛べなくて、犬の鳴き声の吹き出しに当たったりして、何度もアウトになった。空を飛べるようになってからも、パワーゲージが減っているのに気づかず、途中で墜落し、地上の犬の餌食になった。そして、一番記憶に残っているのは、『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』。これは、ホラーアクションゲームとしては、当時、中々スリリングでスピード感があり、かなりハマった。5つの「魔境」のアクションステージで武器やオカリナや水晶玉を集め、「妖怪城」でボスを倒したら、1ステージクリアとなるが、ステージが進むごとに、妖怪の数が増え、動きも機敏になり、攻撃も激しくなる。一反木綿に乗って戦う「妖空魔境」だけは、苦手で、かみなりやらこうもりねこなどの妖怪に何度も倒された。

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1984年、ロサンゼルスオリンピックの年に放送されたスーパー戦隊シリーズ第8弾『超電子バイオマン』がついにこの夏DVD化。偶然か?必然か?北京オリンピック開幕日と同じ8月8日に発売されます。

超電子頭脳のメカ(電飾)つきのマスクと、スリムなスーツのデザインがとても未来的でカッコ良く、いろんな部分で戦隊に新風を吹き込んだシリーズでした。デザインだけでなく、哀愁漂う主題歌、エンディング、劇伴並びに、それ以前のシリーズにはなかったシリアスかつハードなドラマ性も魅力だった。五人の戦士の編成が男3人と女2人になったのもこの作品が最初。自らを改造し、メカ人間となった科学者ドクターマンによって生み出された新帝国ギア。メイスン、ファラ、モンスターの3人の幹部と、その3人の指示に従って、作戦を展開する実行部隊のジューノイド5獣士。それまでの戦隊シリーズには、1話ごとに1人登場していた怪物がこの作品では、毎回5獣士のローテーションになり、その代わり、ロボ戦において、メカジャイガンと呼ばれるギアの巨大ロボが毎回登場し、バイオロボと戦うと言う敵側の新たな編成も魅力の1つだった。ダイナマンから最終パートにおいて、第三の勢力が登場するようになったが、バイオマンにおいても、バイオ粒子を持つ者をひたすら破壊しようとするバイオハンター・シルバが登場。シルバのデザインもとてもカッコ良く、『人造人間キカイダー』に登場したハカイダーを彷彿させた。ホラー色の濃いメカ描写とスタイリッシュで力強いアクションも最高だった。

関西では、当時、戦隊シリーズは、金曜日の夕方5時30分に放送されていた(バトルフィーバーJから電磁戦隊メガレンジャーの途中までの18年間)のですが、バイオマンが放送された1984年は、読売テレビで『星雲仮面マシンマン』も同じ時間帯に放送され、東映の特撮作品同士が視聴率争いをする異例の事態が起きていました。4月の魔の13日の金曜日にイエロー・フォーがスーツ姿のまま戦死を遂げた場面は、未だに記憶に焼きついている…。

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「映画って、本当にいいもんですね!」の名調子でお馴染みだった映画解説者の水野晴郎さんがお亡くなりになりました。水野さんと言えば、日テレ系で現在も放送中の『金曜ロードショー』の解説者としてのイメージが強く、洋画では、インディ・ジョーンズやジョーズのシリーズ、邦画では、『あぶない刑事』の劇場版などをこの番組でよく見ました。『超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ』のスペシャルⅠ、Ⅱもこの番組で放送され、おそらく水野さんが解説していたと思うのですが、残念ながら、その映像を未だに見ることができず、当時どのような解説をされていたのか今でも興味がある。しかし、水野さんは、神戸在局のサンテレビの『ドリーム・シアター』と言う映画枠でも解説を担当していて、1996年の冬頃にその枠でもエアーウルフを放送し、解説していた。その時は、ジャン・マイケル・ビンセントを筆頭に出演者の代表作についてや(アークエンジェル役のアレックス・コードが「駅馬車」のリメイクに主演した事やデビット・ヘミングスが他の映画でもモフェットみたいな悪役ばかりをやっていた事などを紹介)、ブルーサンダーがヒントになった事などを話していた。

また、1989年に金曜ロードショー枠で初めてあぶない刑事の劇場版が放送された時には、タカ&ユージ役の舘ひろし氏と柴田恭兵氏が番組にゲスト出演し、水野さんと対談。内容は、2年半に渡るテレビシリーズを振り返り、劇場版のメイキング映像を見ながら、二人が撮影の裏話を披露すると言うもの。水野さんは、「日本映画には、今までこう言ったシャレた映画は、なかった」「海外の刑事ものは、キャラクターがはっきりしている。日本にもそう言うものが出てきた」などと絶賛し、二人の話をとても熱心に聞いていた。 現在、地上波の映画枠は、映画解説者が皆無となり、本当に寂しい限り。荻さん(月曜ロードショー)、淀川さん(日曜洋画劇場)に続き、また貴重な映画の歴史の語り部がいなくなってしまった。あの頃の金ローは、OPテーマも好きだったなぁ…。ご冥福をお祈りいたします。

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テレビ朝日日曜8時枠に放送されていた『西部警察』の後番組として1984年秋からスタートした『私鉄沿線97分署』は、西部警察のアクション路線から一転、地味な人情路線の刑事ドラマだった。97と言う数字は、当時、警視庁管内に実在した警察署の数が96署あり、その次に新設された警察署と言う設定のためつけられた数字だそうで、劇中に登場する97分署は、完成された建物ではなくプレハブ小屋だったのが印象的でしたが、このドラマの放送中に本物の97分署が建ってしまったんだとか…。

西部警察で大門刑事を演じた渡哲也氏が検視官・榊役、鑑識のロクさんを演じた武藤章生氏も警務課長役で西部警察に続いて出演。劇用車も引き続き、セドリックなど日産車が使用されていた。若手刑事に時任三郎氏、元少年課の刑事に坂口良子氏、『Gメン75』では、ラーメン刑事・草鹿を演じた鹿賀丈史氏が中堅の刑事・奈良龍治を演じている。 その97分署が横浜港署と合同捜査をするエピソードを発見!「危険なヨコハマ・ストーリー!」…横浜港署で指名手配されていた殺人犯の男が97分署管轄に逃げ込み、港署からやってきた刑事と奈良刑事に逮捕される。しかし、犯人の姉は、弟が冤罪であると主張。奈良刑事が横浜に行き、事件を再捜査すると言う内容。港署と言えば『あぶない刑事』。港署刑事演じるは、『太陽にほえろ!』や『西部警察』など数々の刑事ドラマで悪役を演じていた中田譲治氏。タカやユージ程ではないが、すぐに拳銃を使おうとするところなど、少し荒っぽさのある刑事を演じていた。この当時の鹿賀氏と中田氏は、二人一緒に並ぶと兄弟のように見えてしまいます。そう言えば、このお二人、『Gメン75』でも共演されていた。あぶない刑事やベイシティ刑事など、7、80年代の刑事・探偵ものドラマによく登場したポールスターが犯行現場だったり、港署の建物も出てきたりと、何かと興味深いお話でした。

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今月1日に起きたユニバーサル・スタジオの大火災では、『キング・コング』のアトラクションの他、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで使われた、ヒルバレーの街のオープンセット(時計台のある裁判所など)がある「コートハウス・スクエア」の一部や、ニューヨーク・ストリートのセットなどが消失してしまったという。また、倉庫に保管されていた5万本近くのユニバーサル作品のビデオやフィルム・リールも焼失してしまったそうです。ただ、焼失した作品は、デジタル、または、プリントのコピーがあるそうなので、とりあえずは、安心。大火災につながった原因は、屋根工事と消火作業の際に水不足で十分な放水ができなかったとか。デロリアンのタイムスリップのシーンで印象的に使われていたあの時計台が焼けてしまうなんて…残念。

このコートハウス・スクエアは、『ナイトライダー』でも何度も撮影で使われていたそうです。「荒野の大戦争!地獄の暴走族スコーピオンズ対ナイト2000」のホワイトロックの街。マイケルと暴走軍団スコーピオンズが派手に争ったあの場所。日本未放映エピソード「A Nice, Indecent Little Town」では、アルパイン・クレストの街。マイケルが記者のジョビーナと初めて出会う場面などで見られる。「ハイジッャク!人質ボニーを救え!!」では、アリゾナ・カクタスの街として使われた。『ランボー』にも出演していたジャック・スターレット演じるちょっとへんてこりんな保安官がキットと会話を交わしていたあの場所。「死を呼ぶ映画・28番ステージの怪」では、オープンセットの中で劇中映画の撮影や激しいカーアクションが繰り広げられた。カールが初登場した「激闘!善と悪2台のナイト2000!」でも数回に渡り登場していました。ニューヨーク・ストリートのセットのほうも「無敵装甲戦車ジャガーノート!大激突!!」や「無法街!嵐のシカゴ・ブルース」などで使用されたそうです。もし火事がなかったら、新シリーズの撮影でも使われていたのだろうか…!?そう思うとますます無念さが増しますね…。

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ジャレコと言えば、シューティングゲームやアクションもののゲームが数多く、プロ野球などのスポーツゲームもたくさん出していたが、『忍者じゃじゃ丸くん』を代表する忍者アクションゲームの会社と言うイメージが強かった。当時、ゲームセンターにアーケード版の『忍者くん魔城の冒険』が置かれていて、お兄さん方がプレイしているのを横からジッと覗いていたのを思い出します。ジャレコで一番最初に買ったファミコンソフトは、忍者じゃじゃ丸くん。なまず太夫に捕らわれた姫を助けるために、じゃじゃ丸くんが4段の各足場に2人ずついる妖怪たちを手裏剣とブロックに隠されている武器を使って、倒して行く横スクロール型のシンプルなアクションだった。「トロッコ」、飛距離が伸びる「手裏剣」、俊敏に走る事ができる「赤玉」、透明になる事ができる「薬瓶」などの武器を3つ集めると、巨大なカエルが現れ、妖怪たちをパクパク食って一網打尽にできる。忍者くん魔城の冒険は、縦型スクロールで、何段もある足場を駆け上がって、8匹の敵を倒して行くものだったが、先にじゃじゃ丸くんに慣れてしまったせいか、敵が数段強く感じてしまい、中々ステージを進める事ができなかった。

『シティコネクション』もはまった。じゃじゃ丸くんと同じく横スクロール・4段型で、自機の赤いホンダ・シティを走行させて、4段の道路を全て白く塗り潰したらゴールできるカーアクションゲーム。『ナイトライダー』のようにオイルで敵のパトカーなどを滑らせて、体当たりして蹴散らしたり、上段にのぼる際にホンダシティがコミカルにジャンプするところも面白かった。道に突如出現する「おじゃま猫」を轢いてしまうと「猫踏んじゃった」のメロディが流れ出すところもユニークだった。シューティングでは、『フォーメーションZ』『エクセリオン』『アーガス』などをよくやった。フォーメーションZは、横スクロールで戦闘機と地上では、ロボットに変形して、攻撃するもの。アーガスは、縦スクロールのものだったが音楽がとても印象に残っている。

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