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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
2024/05月

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「危険を買う男」=初代・引田天功の脱出シリーズ第6弾「死の火煙塔大脱出 時限装置爆破3分前」を拝見。前回ご紹介した「地獄の大流水 死の水道管大脱出!」は第4弾。つまり、この死の火煙塔大脱出の前に第5弾があるはずなのですが、なぜだか飛ばされていました。メインの脱出の前に、前回の水道管大脱出や、第3弾の「死のジェットコースター大脱出」のVTR映像は流れていたが、第5弾と思われる映像はなかった。どうやら第5弾のタイトルは、「地獄の岩石落とし大脱出」で、採石場で行われたらしいのですが、詳しい内容については、触れられていませんでした。こちらも気になるのでまたいつか見てみたいですね。


番組冒頭では、往年のハリウッド映画のテーマ曲を思わせるようなBGMと共に、時限爆破装置を点検している様子や、火煙塔の中に脱出チェーンを垂らしている様子を映し出して、緊張感を煽る演出がなされていました。さらに今回は、007シリーズの3代目ボンド(ロジャー・ムーア)や、アニメの名探偵ホームズの声などでもお馴染みの広川太一郎氏がナレーションを担当し、一層番組を引き立たせていました。


脱出の舞台となるのは、死の水道管大脱出!と同じく富士急日本ランド遊園地。前回と同じく、ヘリから宙吊りで華々しく登場する引田天功氏。司会者と熱い握手を交わした後、ファンと思われるたくさんの子供達が一斉に空に風船を飛ばし、陸上自衛隊の音楽隊がファンファーレを奏でて新たな危険に立ち向かう男にエールを送る。天功氏に応援のメッセージを送る著名人たちのインタビュー映像が流されますが、その中には、ヨットで世界一周を果たした冒険家の堀江謙一氏や、当時現役のプロボクサーだったガッツ石松氏の映像もありました。



今回の脱出は、小型時限爆破装置が仕掛けられた箱の中に手錠でつながれた天功氏が入り、その箱を地上20mの火炎塔の頂上にセット。火炎塔下の炉口の石炭燃料に火を放ち、箱の中の時限爆破装置を爆発させ、さらに塔の隣に建てられている脱出小屋にセットされた時限爆破装置も爆発させる。塔が炎に包まれる前に、箱から脱出し、火炎塔内部を脱出チェーンで降りて、脱出小屋に潜りこむというもの。この脱出の3ヵ月前に母親を亡くした天功氏。「もう二度と危ないことはやめておくれ」という母の遺言を諸共せず、またもや超危険な脱出に命を賭ける。


前回、天功氏の入った箱は、土の中に埋められていましたが、今回は、高さ約20mもある火炎塔の頂上に置かれます。この作業をしているスタッフ達がやはり凄いです。箱の上にスタッフが一人乗り、そのままヘリがその箱を吊り上げて、塔の頂上に持っていくのですが、箱の上に乗っているスタッフこそまさに「危険を買う男」って感じがしました。塔の頂上で数人のスタッフが作業しますが、すでに炉口に火が放たれており、作業中にも関わらず、塔の頂上は、すでに黒煙でモウモウとしています。トラブルがあったのか、介錯人のスタッフがなにやら激しく喚いていましたが、箱の中を確認するとスタスタと下に降りていきました。





その1分半後、まず、塔の頂上に置かれた箱が爆発。次に火炎塔に仕掛けられた爆破装置が5連発で爆発し、塔の下にあった看板、そして脱出小屋も爆発しますが、脱出小屋の爆発がとてつもなく激しく、塔の周りがまさに灼熱地獄と化した。ヘリからの空撮で、炎上する火炎塔の模様が映し出されていましたが、やはり物凄い迫力でした。西部警察の名古屋ロケ編のオバケ煙突倒壊の映像を思い出しましたね(苦笑)。


消化後、スタッフ達が脱出小屋を確認しに行きますが、天功氏が中々あらわれない。これはもしや、まさかの失敗???かとひやひやさせられましたが、約10分後、天功氏は脱出小屋の床下から無事スタッフに助け出されました。顔は煤だらけになり、髪はボサボサ、ブルーのジャケットも真っ黒になり言葉少なの天功氏。今回の脱出は、思うように行かなかったらしく、反省の弁が多かった。消化後の火炎塔は塔本体そのものが完全に消失して、作業用の骨組みだけになっておりました。丁度40年前に放送されたものですが、今見ても見応え十分。やはりこの時代のテレビは、スケール感がズバ抜けていますね。初代の第1弾から7弾までと、プリンセステンコーの脱出シリーズも映像が残っているなら見てみたい。




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テレビっ子の頃は、毎日釘付けになってテレビを見ていましたが、木曜日のゴールデン帯と言えば、夜7時からフジテレビのアニメと、その後7時30分からよく見ていたのが日テレの「木曜スペシャル」。単発もののバラエティやスポーツ中継などをする番組枠で、代表的なものに「元祖どっきりカメラ」や、「アメリカ横断ウルトラクイズ」「矢追純一のUFOシリーズ」「鳥人間コンテスト」などがこの枠で定期的に放送されていました。世界中のショッキング映像を集めた「カメラが捉えた!決定的瞬間」なる番組もこの枠の放送でしたが、その中で今でも一番印象に残っているのは、アラン・バンクスというスタントマンが縦列に4台並んだバスに車で突っ込むカースタントに挑戦した時の映像。車は見事4台のバスを突っ切るも、表に出てきた時車の屋根は吹き飛び、運転していたアラン・バンクスは、首のない遺体になっていた。そして、それを見た家族が泣き叫ぶ姿が映し出されるというかなり衝撃的なものでしたが、このような衝撃的な番組も定期的にやっていました。



あの時代は、スタントマンやユリ・ゲラーのような超能力者、マジシャンのような人達がテレビで持て囃されていましたが、日本を代表するマジシャンと言えば、プリンセス・テンコーの異名を持つ引田天功。当時は、デンジマンやメタルダーなど特撮番組などでもよく見かけ、最近ザ・ハングマンにも出ていたことを知りましたが、当時は、「朝風まり」を名乗りマジックをしながら歌を歌うアイドル歌手としても有名だったそうです。あの頃は知らなかったのですが、実は彼女は二代目であり、初代の引田天功は、男の人で、1979年の大晦日に亡くなられています。残念ながらリアルタイムで初代の活躍を見ることはできなかったのですが、最近ファミリー劇場で初代の引田天功が活躍する番組が放送されていたのでさっそく見てみました。




3本放送されたうちの1本「死の水道管大脱出」を拝見。これは1973年に木曜スペシャルで放送されたもので、当時、富士山南麓にあった「日本ランド」という遊園地内に滑り台状の水道管の巨大なセットを建造し、引田天功が箱の中に入り地中に埋められ、大量の水と爆破を潜り抜けながら水道管の中を登り脱出するというもの。はじめて初代の引田天功を見ましたが、第一印象は普通のおじさんという感じでしたね。しかし番組が始まるやいなや、飛んでるヘリの梯子にぶら下がりながら登場したり、映画のスタントマンのような風格もあり只者ではない空気を感じさせられました。当時テレビで活躍していた芸能人が応援者として現場にかけつけていましたが、その中には、天功氏の奥さんや、「お笑いマンガ道場」に出ていた若い頃の富永一朗氏の姿もありました。



この水道管大脱出のイリュージョンの前に、富士急ハイランドのジェットコースターで行われた「死のジェットコースター大脱出」のVTR映像が流れていましたが、これもまた凄まじい脱出ショーで見応えがありました。引田天功が手足を固定された状態で棺おけのような箱の中に入り、その箱を乗せたジェットコースターがレールを走るというもの。コースターが勢い良く走り出した直後、コースターから突然炎が上がり、火を吹きながら走る「炎のジェットコースター」状態に。最後は、ジェットコースターが小屋のようなところに突っ込んで止まり、箱の中から脱出した天功氏が映し出されていたが、やはりこの時代は、スケールのでかいことをやっていますね。



そのVTRが終了後、今回のメインである水道管大脱出がスタート。まず、引田天功が手足を鎖で固定されて箱の中に入れられ、その箱をヘリで吊って運ぶのですが、そのヘリの操縦技術に圧倒されます。ホバリングしているヘリの下で作業するスタッフの人達もまさに命がけという感じです。箱が土の中に埋められた後、いよいよ脱出ショーの開始。天功氏は、中の状況を知らせるためのボタンを持ち、「OK」「脱出中」「ちょっと待て」「SOS」の4つのランプを点灯させることによってその状況を逐一視聴者に知らせるという手法がとられていましたが、その見せ方が中々面白いと思いました。滑り台上の水道管の下には、5つの爆弾が仕掛けられており、段階的にその爆弾が爆発していくのですが、一発目の爆発が凄まじく、鉄塔の上で水道菅のバルブを操作した後、そこから降りていたスタッフに火の塊がふりかかってくる映像に度肝を抜かされます。





爆発で水道管が破壊され(というか水道管にも爆薬が仕込まれていた模様)、つなぎ目がズレてそこから中の水が流れ出していましたが、はたして脱出は成功できたのか??スタッフが鉄塔をよじ登って確認すると、鉄塔上の給水菅の中から、見事水道管を登り切った天功氏が姿をあらわした・・・。こうして脱出は成功しましたが、何より命がけで仕事をするスタッフ達の姿が圧巻でした。番組終了後にプリンセス・テンコーこと二代目引田天功氏のインタビュー映像が放送されていましたが、それによると、このショーで亡くなりかけたスタッフが何人かいたそうで、その真相についてはまだ語ることができないそうです。



初代引田天功氏は、石原裕次郎さんと同じ1934年生まれだそうですが、あの当時のスター達は、爆発好きというか(苦笑)、ハイスケールな方々が多かったですね。リアルタイムでもっと見てみたかった。




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2015年です。明けましておめでとうございます。今年も海外ドラマ、刑事ドラマ、映画、特撮など気になった作品を幅広く紹介していきますのでよろしくお願い致します。この正月三箇日もあっという間に終了してしまいましたが、この時期毎年恒例になっているのがドライブです。時間の関係でそれほど遠い場所にまで行くわけではないですが、軽く高速を流して、東なら琵琶湖、西なら神戸辺りまで進んでUターンし帰路に着くのが例年のお決まりのコースとなっています。自分がハンドルを握る時に、やはり欠かせないのが音楽。聞きながら走ると、思わずアクセルを吹かしてしまうのは、ナイトライダーのテーマ曲や挿入歌として流れていた洋楽、西部警察&あぶない刑事のサントラなどなど。それらと一緒によく聞いているのが「鶴瓶・上岡パペポTV」のテーマ曲になっていた洋楽です。


「鶴瓶・上岡パペポTV」は関西の深夜に放送されていたトーク番組。当時関西を活動拠点にしていた笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が1時間ぶっつけ本番の過激なトークを繰り広げるというもので、1987年の春から98年まで約11年間に渡り放送されていました。関西では伝説的なトーク番組として今も語り継がれていますが、実は私も学生の時、学校を休んで午前中にテレビ局の前に並んで整理券を取り、夜から行われるスタジオ収録に2度ほど参加したことがありました(苦笑)。二人がスタジオに登場する時に、出囃子的に流れていたのがこれから紹介する洋楽なのですが、当時、キャッチーでポップな楽曲が多かったせいもありますが、この番組で使われた曲がどれもセンスが良いものばかりで、未だに強烈に印象に残っているのです。今でも時々家で聞いたり、ドライブには欠かせない曲として重宝しております。








フィル・コリンズ

「Two Hearts」

イギリス出身のフィル・コリンズは、1970年に「ジェネシス」というバンドのドラマーとして活動を開始。80年代からはソロ活動を本格的にスタートさせ、バンドとソロ両方で大ヒット曲を連発させた。その中の一つである「Two Hearts」は、1988年に発売されたシングルで、全米で第1位、全英では6位を記録しています。パペポTVでは、88年の冬から89年の春頃までテーマ曲として使用されていた模様。私がパペポTVを見始めたのは1990年の夏頃からだったので、このテーマ曲が流れていた時代のパペポのことは実は知りません(苦笑)。91年の夏に放送された「パペポTV名作復活祭」でこの曲が使われていたことを知りました。











アニカ

「想い出はブロークン・ハート(I Can t Deny A Broken Heart)」

アニカは、スウェーデン出身で、1988年16歳の時にヨーロッパで歌手デビューしています。「想い出はブロークン・ハート」は、1990年の夏に発売されたシングル。同時期にパペポTVのテーマ曲として使用されていました。パペポを見始めたのが丁度この曲が流れていた時で、パペポのテーマ曲となった数々の楽曲の中でも、一番印象深く残っている曲です。自分の中で、パペポと言えばやはりこの曲のことを真っ先に思い浮かべてしまいますね。












シック

「CHIC MYSTIQUE」

シックは、1977年にアメリカでデビューした男女7人組のディスコバンド。1970年代後半に起きたディスコ・ブームで一躍スターダムに伸し上がり、「おしゃれフリーク」など数々のヒット曲を生み出したことでも知られています。ギター担当のナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズは、プロデューサーとしても活躍し、デビッド・ボウイやマドンナなど数多くの有名なアーティストたちの楽曲をプロデュースしています。二人がプロデューサー業に勤しんでいたため、シックは、80年代後半以降は、活動停止状態になっていましたが、1992年にシックが再結成され、その時に発表されたのがこの曲です。シングル発売と同時期にパペポTVでもテーマ曲として使用されていました。










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俳優の蟹江敬三さんがお亡くなりになりました。蟹江さんと言えば、先月亡くなられた宇津井健さんと共演した「さすらい刑事旅情編」の山崎刑事役が印象に残っていますが、他にも数多くのドラマで刑事役を演じられていました。


去年、関西で久しぶりに再放送された「ヤヌスの鏡」でも、主人公の裕美の同級生・進東哲也の父で刑事の進東修一を演じられていた。この作品に出演する以前は、刑事ドラマでの悪役のイメージが強かったですが、中でも強烈だったのが「Gメン'75」の望月源治役。手斧で頭を割るという凶悪な手法で殺人を繰り返し、立花警部と死闘を繰り広げた凶悪犯。まさに獣と言う感じで、蟹江さんの粗暴な雰囲気と演技力なしでは、ありえなかった。ジェイソンやフレディなどと並んで、まさに「日本の殺人鬼」として永世に語り継がれるハマリ役でしたね。


「大都会」シリーズには、シリーズ3作全てにゲスト出演されていましたが、『大都会 PARTⅡ』の「殺人計画No.4」では、弁慶=宮本刑事に恨みを持つ爆弾魔・河合を演じられていた。弁慶を狙って次々と交番を爆破する凶悪犯でしたが、この犯人役もインパクトがあった。『大都会 PARTⅢ』「テロルの仮面」では、強盗団の一人・恩田役を演じられていた。ライトエースのバンの屋根にしがみついて、追いかけてくる黒岩軍団の覆面車に手榴弾を投げつける凶悪な犯人役を熱演されていた。街の狭い路地でカーチェイスを繰り広げ、箱乗りしながら銃撃する黒岩軍団に対し、必死に抵抗を続ける恩田の凶悪ぶりが物凄く強烈でした。ちなみに、走行中のバンの車内から車の屋根の上に移動し、屋根の上から銃を撃ったり、手榴弾を投げるシーンも蟹江さん本人が演じられていました。


『俺たちの勲章』「狂乱のロック」では、殺人事件を起こしたロックバンドのリーダー・黒木役を演じていた。幼稚園にいる子供に会いに来た黒木が、子供の目の前で待ち伏せしていた中野とアラシに捕まりながらも、必死に子供に話しかけるシーンがとても印象に残りました。


他にも『ザ・ガードマン』や『太陽にほえろ!』など、数多くの刑事ドラマで犯人役、または、刑事役で出演されていましたが、個人的に一番記憶に残っているのが『ベイシティ刑事』の「復讐・・・」と言うエピソード。蟹江さん演じる元刑事の植草が、女房と子供を射殺した男(団時朗)に復讐を果たすストーリー。植草がピエロに扮して、公園で子供に風船を手渡しながら、男に復讐しようとするも、男に撃たれそうになった母娘を助けるため、自らを犠牲にして男の銃弾を食らう。儚く空に飛んで行く風船を見ながら、息絶える時の植草の優しくて悲しい表情がなんとも切なく印象的だった。



ここ数年、地上波を見ていないので最近の出演作品はほとんどわからないのですが、火曜サスペンス劇場や土曜ワイド劇場など2時間もののサスペンスドラマでもよくお見かけしました。映画や時代劇やウルトラマンAの特撮など、常に幅広く活躍されていて、極めて存在感ある俳優さんだっただけに、もうテレビで見ることができなくなるのは寂しいですね。また味のある役者さんがいなくなってしまいとても残念ですが、これからもスカパーなどで過去の出演作品を楽しませて頂こうと思います。蟹江敬三さんのご冥福をお祈り致します。



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昨年末にTBSチャンネル2に加入して「シークレット部隊」を一気見したのですが、その主人公を演じられていた宇津井健さんが先日亡くなられました。宇津井さんと言えば、やはり、70年代、TBSで放送されていた赤いシリーズの山口百恵の父親役のイメージがとても強いですが、私自身は残念ながらリアルタイムでこのシリーズ見たことがなく、どちらかと言えば、同じく大映テレビが製作した「少女に何が起こったか?」の謎の男の役や、「さすらい刑事旅情編」の高杉警部役などが真っ先に思い浮かびます。最近では、「渡る世間は鬼ばかり」で故藤岡琢也さんが演じていた岡倉大吉の代役を務めたり、「相棒」シリーズには警察庁長官役でドラマと映画に出演するなど、最後まで現役俳優として活躍されていました。


日本には、昭和の時代から月光仮面を初めとして数多くのヒーローが生み出されてきましたが、実は、宇津井健さんも「スーパージャイアンツ」と言う映画シリーズで日本初の特撮ヒーローを演じられていたそうです。当時アメリカで放送されていた「スーパーマン」を意識し、反戦や核兵器廃絶・平和への願い込めた作風だったそうですが、あの時代のヒーローは、月光仮面にしろ、遊星王子にしろ、全身タイツですよね。スーパージャイアンツも見事なまでに全身白タイツ。宇宙空間で空を飛ぶこともできるらしいですが、撮影時は、ピアノ線で宙に釣られて相当痛い思いをされたとか。


1965年からスタートした「ザ・ガードマン」では、勇猛果敢な頼りになるリーダー・高倉キャップを熱演。この作品もリアルタイムで見ることはできなかったのですが、スカパーのファミリー劇場や、旧TBSチャンネルで数十本ぐらいは見ることができました。そして、ガードマンの後を継ぐ形で製作されたのが、この間TBSチャンネル2で連日放送されていた「シークレット部隊」。キャスト陣もキャップを演じる宇津井さんをはじめ、藤巻潤、神山繁、稲葉義男、中条静夫などガードマンのメンバーが多数出演しており、作風もガードマンのようなサスペンスチックなものから、ハードなアクションまで、幅広い作風になっていた。残念ながらガードマンのように長くは続かず、2クールで終了してしまったが、シークレット部隊ではなく、「ザ・ガードマン2」とか、「新ザ・ガードマン」などのタイトルだったら、もしかしたらもっと長続きしていたかも?と思ってしまいました。


シークレット部隊の「花笠祭りに消えた金塊」というエピソードは、東北四大祭りの一つ山形の花笠まつりが舞台になり、一億円相当の金塊を乗せた輸送車を強奪したグループが祭屋台に輸送車を隠し、なんとそのまま、花笠まつりに参加してしまうというブッ飛びな展開があった。祭屋台の中に輸送車がいることに気づいたブレーンリサーチのメンバーが、見物客をパニックに陥れないように、踊りながら静かに祭屋台に近づいていく場面があるのですが、宇津井さんたちがはっぴを着て真面目に踊っている姿がとても印象に残った。


石立鉄男や名古屋章と並んで、大映テレビの顔的な存在であり、一時期はTBSドラマの顔でもあり、日本の良き父親的なイメージだった宇津井さん。80歳を越えても髪がフサフサでとても若々しく見えて、年齢を感じさせなかっただけに、訃報のニュースを聞いた時は、大変ショックでした。宇津井さんのご冥福をお祈り致します。



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ついこの間21世紀を迎えたばかりと思っていたらあっという間に今年は2014年。喉元過ぎればなんとやらと言いますが、年々時間の経ち方が早まってるように思うのは私だけでしょうか。今から30年前の1984年当時に自分の中でイメージしていた2010年代の世界と言えば、人類は普通に宇宙旅行していて、車は自動走行で空を飛び、高層ビルが立ち並ぶメカニカルな巨大都市がたくさんあって・・・みたいなベタベタな未来を想像していましたが、30年前より革新的に進歩したと思うのは、やはりパソコンですね。携帯電話も当時は、まさか子供までもが持ち歩く時代が来るなんて考えもしなかった。映像記録機器も、84年は、VHSが一般に普及し始めた頃で、今のハードディスクレコーダーなんて夢のまた夢。テレビは今では薄型の液晶テレビが一般的になりましたが、その中身のほうは・・・。と言うことで、1984年は、どんな時代だったのか。今回は、音楽と共に振り返ってみます。


1984年と言えば、ロサンゼルス・オリンピックが開かれた年。開幕式では、ロケットマンと呼ばれるジェット推進飛行装置(ジェットパック)を背負った人が競技場を飛び回るパフォーマンスを披露した。このジェット推進飛行装置は、ナイトライダーをはじめ、007などテレビドラマや映画でもよく見かけましたね。そう言えば、日本でナイトライダー(日曜洋画劇場枠でパイロット版を放送)が始めて放送されたのもこの年。アメリカでは、2つの未来型攻撃ヘリのドラマが同じ時期に始まって大激突した。その視聴率競争に勝利したのは、超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ。もう一つのブルーサンダーは、前年に映画化され、その後のテレビシリーズ化でしたが、わずか1クールで終了してしまった。米ソ冷戦真っ只中のこの時代、その緊迫した空気感をストーリーに取り入れたエアーウルフのほうに軍配が上がったようです。日本でも、エアーウルフとブルーサンダーは、共にテレビ放送されましたが、エアーウルフの日本版のDVDは発売されていますが、ブルーサンダーのテレビシリーズのほうは、残念ながら未発売。ロイ・シャイダー主演の映画版のほうは有名でもテレビシリーズの知名度はいまいちなのでしょうかね・・・。







この年、印象に残ったニュースは、やはり関西を舞台に起きたグリコ・森永事件。食品会社が次々にターゲットにされて、江崎グリコの社長が誘拐されたり、毒入りのお菓子がばら撒かれるなど、ポッキーやらキャラメルなどなど当時お菓子大好き少年だった私にも人事とは思えない大変衝撃的な事件でした。かい人21面相を名乗るきつね目の男のモンタージュ写真が未だに記憶に焼きついておりますが、結局、犯人は捕まらず、未解決のまま捜査が終了してしまった事件でしたね。今みたいに小型の監視カメラが充実していれば、もっと犯人像に迫れたのかもしれませんが、でもあの頃よりも今のほうが未解決事件が増加している現状はなんとも皮肉な話です。この年の元旦に放送された刑事ドラマは、『西部警察』スペシャル「燃える勇者たち」。太陽にほえろ!(ボギー/ブルース編)や、特捜最前線など、まだまだ息の長い刑事ドラマが数多く放送されていた時代でした。海外ドラマの「特捜刑事マイアミバイス」がスタートしたのもこの年。マイアミバイスの登場によって、日本の刑事ドラマも80年代の後半から様変わりし、あぶない刑事スタイルのおしゃれで軽快なバディもの刑事ドラマが流行りました。








この年ヒットしたアルバムは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」。そして、大ヒットした映画は、「インディジョーンズ魔宮の伝説」「グレムリン」「ゴーストバスターズ」「ビバリーヒルズコップ」「ポリスアカデミー」「ベストキッド」などなど、ほとんどが続編が製作されたタイトルばかり。日本では、宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」が公開された年でした。しかし、意外にもこの年一番ヒットしたアニメ映画作品は、「ドラえもん のび太の魔界大冒険」と同時上映の「忍者ハットリくん+パーマン超能力ウォーズ」。まだまだ藤子アニメ全盛の時代でしたね。個人的にテーマ曲で一番印象に残っているのは、「ネバーエンディングストーリー」。日本では、翌年の1985年に公開されヒットし、一時期日曜洋画劇場などテレビの映画放送枠で何度も放送されていました。これは名曲ですね。








この年、週刊少年ジャンプでドラゴンボールの連載が開始。北斗の拳のテレビアニメがスタートしたのもこの頃。戦隊は、「超電子バイオマン」。バイオマンのデザインは、それまでの戦隊と比べると、とてもスタイリッシュで、内容のほうもも新機軸が数多く盛り込まれて、戦隊の新時代を予感させる作品でした。関西では、バイオマンが放送されている裏で星雲仮面マシンマンが始まり、どちらを見ようか困ったのですが、ちょうどその頃にビデオの使い方を覚え、マシンマンのほうを録画して、バイオマンが終わった後よく見ておりました。当時は、金曜日に特撮の放送が集中していたので、金曜日になると、バイオマン、マシンマン、宇宙刑事シャイダーの3本立てになっていましたね。その後は、プロレス(もしくは太陽にほえろ!)、ハングマン、必殺仕事人と・・・この時代の金曜のテレビは、まさに黄金曜日でした。








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