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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
2024/05月

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今やゲームの代名詞となったRPG(ロールプレイングゲーム)。1986年、ファミコンに登場した衝撃のソフト、言わずもがなエニックスから発売された『ドラゴンクエスト』。巨大な地形や地下を歩き回って、現れるモンスターを倒し、お金と経験値を増やして、自分のキャラを強くして行く当時は、画期的なゲームだったが、最初の頃は、あまり興味を持たなかった。1は、操作性がいまいち悪く(話したい相手の方角を指定しなければならない事や階段を上り下りするのもいちいちコマンド操作しなければならなかった)、何度も泣かされたのがセーブ方法。無作為に並べられたひらがなの文字がパスワードになるのだが、メモるのに失敗して、何度もやり直しするはめになった。1年後に発売されたは、「2」からパーティ制が導入され、3人のメンバーで戦えるようになったが、これに凄く衝撃を受けた。実質自分がドラクエにはまったのは、この「2」から。「3」では、4人のパーティ制になり、キャラの職業を選択できるようになった事にまたまた衝撃を受けた。スーパーファミコンのリメイク版もやったが絵が「6」と同じタッチになっていて、戦闘時、モンスターが動いた時は、感動した。

「4」は、勇者、戦士、武器屋、踊り子などの独自のストーリーが展開した後に、8人が結集して、ラスボスに立ち向かうと言う進行だったが、残念だったのが、戦闘時、勇者以外のキャラの行動が選択できず全て自動で進む事。踊り子のストーリーの時の音楽が印象に残っている。スーパーファミコンのソフトとして発売された「5」は、パーティは、3人に戻ってしまったものの、ストーリーがとても印象的だったのと、船で海を進む時に流れる音楽がとても好きだった。途中で二人の花嫁(ビアンカ、フローラ)のどちらかを選択することでその後の展開が全く異なるらしいが、時間があれば、フローラ選択で再びプレイしてみたいものです。

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タイトーのゲームもファミコンが世に出る前からゲームセンターでよくやりました。ファミコンが出る前に一世風靡した『スペースインベーダー』や、『エレベーターアクション』などのアクションゲームもよくやった。「エレベーター…」は、ファミコンが出てからは、友達がカセットを持っていたので、その友達の家に遊びに行った時は、必ずやっていた。プレイヤーの目的は、地上30階の高層マンションに屋上から侵入し、エスカレーターでひたすら下に降りて、赤いドアの部屋にある機密文書を盗み出す事。そして、敵に見つからないように地下まで降りて、駐車場に止まっている車に乗り込むんだら1面クリアと言う感じだったが、時間が経つごとに黒スーツの敵がうじゃうじゃと増え、始めは、撃たれてもゆうゆうと避ける事ができた敵の銃弾もマシンガンのように乱射されまくって、やがては、避ける事ができなくなり、そのせいで、一面さえもクリアする事が非常に困難であった…。

ブロック崩しの元祖的なゲームと言えば、ゲームセンターでもよくやった『アルカノイド』。ファミコン版は、ダイヤル式のコントローラーがついて当時としては、少し高めの5500円で発売されたが、そのコントローラーをうまく使いこなすのに時間がかかった。2面ぐらいまでは、簡単にクリアできるのだが、3面から破壊できない壁が出てきて、急激に難易度が上がる。結局、普通に頑張っても4、5面までが限度。運良くワープを使って、10面台まで進んだ事があるが、壁に当たるごとに速くなるボールのスピーディーな動きには、やはり、ついていけず…。その他、シューティングでは、『スカイデストロイヤー』、アクションは、『影の伝説』『レインボーアイランド』などもよくやったが、やはり未だに一番印象に残っているのは、のっけから謎だらけだった『たけしの挑戦状』。当時、ゲームの目的がわからず、何をどうすればクリアになるのか全く理解できず、ずいぶんぼやきまくった思い出が…(苦笑)。

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コナミもたくさんやりました。アクションゲームは、『サーカス・チャーリー』『けっきょく南極大冒険』に『がんばれゴエモン』、ハイパーオリンピックシリーズ…一番思い出に残っているのは、最初のファミコンと一緒に買った『イーアル・カンフー』。ファミコンをやり始めたばかりで、手馴れていなかった事もあり、飛び方がわからず、しばらくキックオンリーの攻撃で戦ったが、当然、ちっとも勝てず。一人の目の棒術使いさえも倒せず、のっけから投げ出しそうになったが、プレイを重ねるうちに、だんだん操作にも慣れ、気づいたら5人の敵を何度もループして倒せるようになりました。火を吐くブッチャー、鎖の使い手、紅一点の手裏剣使いの女、宙に浮かんで、水平飛びで攻撃を仕掛けてくる武術師などなど個性的な敵も面白かった。もう一つは、当時、大ヒットした映画『グーニーズ』にもはまった。洞窟を探検しながら、牢屋に隠れたアイテムやら仲間を見つけるアクションゲームだったが、BGMがとても印象的だった。そして、もっともスピーディなアクション性を楽しめたのが『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』。手塚治虫の同名漫画のゲーム化で主人公は、我王。各ステージをクリアすると手に入る火の鳥の彫刻を16枚集め、1枚の絵を完成させる事が目的だったが、これもBGMがとても良かった。

シューティングは、やはり『グラディウス』と『ツインビー』。ツインビーは、果物や野菜などコミカルでほのぼのとした敵キャラがユニークで、雲の中に隠れているベルの色を変え、それを取りパワーアップして行くところもとても面白かった。パワーアップした時のBGMも良かった。BGMと言えば、グラディウスや『沙羅曼蛇』なども良くて、音を聞きたいがために、何度も遊んだ事もある。しかし、この中でクリアできたのは、ツインビーだけと言う…(汗)。ハドソンやコナミのアクションやシューティングゲームは、とりわけ印象に残るBGMが多かった。

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ナムコは、とにかくよくやった。アーケードからファミコンに移植されたゲームもほとんど。『ギャラクシアン』『パックマン』『ゼビウス』『マッピー』『ギャラガ』など、初期のゲーム20作ぐらいは、全てやったと思う。ナムコもシューティング&アクションゲームのイメージが強いが、『バーガータイム』のような風変りなアクションゲームや『バベルの塔』などのパズルゲームもあって、とにかく色々と楽しませてもらいました。当時、任天堂やハドソンなどの他のメーカーが4、5000円台でソフトを発売する中、ナムコがいち早く3980円と言う安値で発売していたのを思い出します。初めて買ったナムコのソフトは、2つの空間をワープしながら異次元生物を倒すシンプルなアクションゲーム『ワープマン』。黄色い丸型のキャラが迷路に落ちている餌を食い尽くして行く『パックマン』の続編『パックランド』やシューティングゲームの名作『ゼビウス』の続編に当たる『スーパーゼビウス ガンプの謎』など、なぜか続編ものをよく買っていた。他は、友達の家でやったり、カセットを借りたが、穴を掘りながら、地中で様々な敵をポンプで膨らませて破裂させ倒していく『ディグダグ』やその続編の『ディグダグⅡ』もハマった。

横スクロールのシューティング『スカイキッド』は、当時、近所のゲームショップでゲーム大会があって参加したが、ほんの数秒間で地上に激突し、自爆してしまった。固定画面型・対戦車アクションゲーム『バトルシティ』は、友人とよく対戦したり、オリジナルのデザインを作って遊んだ。対戦の時は、『マリオブラザーズ』のように、やはり途中で殺し合いの展開になり、友人が操作する戦車の弾をくらって動きを封じ込められ、その間に、敵戦車の攻撃を受けて何度も負けた。『ドルアーガの塔』は、苦手で当時は、敬遠していたが、数年前にその続編に当たる『カイの冒険』と言う少し変わった操作性を持つアクションゲームをやってみたら、見事にハマってしまった…。ワープを使わず60面クリアしたが、なんとも不思議なゲームであった。

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サン電子と言えば、昔は、ハドソン、ナムコ、タイトー、コナミと数あるゲーム会社の中では、少しマイナーなイメージを持っていた時期がありましたが、ソフトは、インパクトのあるものが多かった。レースゲーム『ルート16ターボ』や、固定画面のアクションゲーム『スーパーアラビアン』など、アーケードの移植ものもあったが、一番記憶に残っているのは、『いっき』や『東海道五十三次』などの独特のギャグテイストを持った時代ものアクションや、『アトランチスの謎』のような超難解なアドベンチャーアクションゲームも思い出します。

『いっき』は、農民ごんべが忍者と戦いながら、小判を8枚集めてステージを進んで行くアクションゲーム。ほのぼのとしたキャラの画がとても印象的で、間の外れた感のあるBGMや効果音も忘れられない。しかし、百姓一揆の設定のはずなのに、なぜ戦う相手が忍者だったのか、未だに謎である。同じ時代ものの『東海道五十三次』も記憶に残る名作。花火職人のカン太郎が、悪徳商人の様々な妨害や難関を乗り越えながら、京都から恋人のももこちゃんが待つお江戸に向かう横スクロール型のアクションゲーム。武器は、爆弾オンリー。敵は、ごろつきや忍者や素浪人たちとたくさんいるが、このゲームのキャラや音楽、効果音もまたほのぼのとしたギャグテイストがあり、他人が動かしている画面を見ているだけでも結構楽しかった。苦手なキャラは、捕まると動きを止められてしまうお邪魔キャラのお民。こいつのおかげでかなり苦戦を強いられた。『アトランチスの謎』は、両横スクロール型のアクションで全101面で構成されている。冒険家が扉を見つけて、平原や洞窟、遺跡、神殿、暗闇などなど様々な場所を迷路のように移動し、アイテムを見つけたり敵と戦いながらゴールを目指す。子供には、難易度の高いゲームだった。未だ持ってクリアしていないが、裏技や攻略本を使わずファイナルゾーンに到達できた人は、はたして何人いたのだろうか!?。

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バンダイと言えば、ファミコンが世に出る前までは、ガンダムのプラモ、変身ベルト、超合金など色々とお世話になっていましたが、まさか、後にナムコと合併する事になろうとは、あの当時は、想像すらしませんでした…。当時人気だったアニメ作品を中心に次々とソフトを出していたと思いますが、残念ながらプレイしたのは、数本ほどしかない。よく覚えているのは、『キン肉マン』『オバケのQ太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』の3本。あと、『ファミリートレーナー』と言うマットを利用して、遊ぶゲームもよくやった。おそらく、一番最初に出た『アスレチックワールド』だったと思うが、友達の家の部屋で騒ぎながら遊んだのを記憶しています。このシリーズで当時放送されていた人気バラエティ番組『風雲!たけし城』のシリーズも出ていたが、一度もやれなかったのが残念だった。しかし、このファミリートレーナーシリーズが最近Wiiで復活したらしいです。

藤子アニメ作品は、『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』など、メジャー系は、ほとんどソフト化されていました。バンダイで発売された『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』は、誘拐された仲間を1ステージごとに1人ずつ助け出して行くアクションゲームだが、中々難易度が高かった。操作方法が中々理解できず、空を飛べなくて、犬の鳴き声の吹き出しに当たったりして、何度もアウトになった。空を飛べるようになってからも、パワーゲージが減っているのに気づかず、途中で墜落し、地上の犬の餌食になった。そして、一番記憶に残っているのは、『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』。これは、ホラーアクションゲームとしては、当時、中々スリリングでスピード感があり、かなりハマった。5つの「魔境」のアクションステージで武器やオカリナや水晶玉を集め、「妖怪城」でボスを倒したら、1ステージクリアとなるが、ステージが進むごとに、妖怪の数が増え、動きも機敏になり、攻撃も激しくなる。一反木綿に乗って戦う「妖空魔境」だけは、苦手で、かみなりやらこうもりねこなどの妖怪に何度も倒された。

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