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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
2024/05月

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ファミコンが発売されてからすでに30年過ぎましたが、意外にも今から丁度30年前にの1984年に発売されたゲームソフトは、1年間でまだたったの20本ほどしかなかった。ゲーム会社も当時は、本体を開発した任天堂の他に、ハドソンとナムコの2社しかまだ参入していなかった頃です。しかし、翌年の1985年になると、ジャレコ、タイトー、コナミ、アイレム、エニックス、サンソフト、アスキー、セタ、バンダイ、ポニーキャニオン、デービーソフト、カプコン、コトブキシステム、スクウェア、徳間書店と計15社が参入し、ファミコン市場は一気に群雄割拠の戦国時代に突入。この年発売されたソフトの数は、一年間で69本。前年の3倍以上になり、ここからファミコンの全盛時代が数年続いたわけです。


私も85年にファミコンを購入して、89年頃までずっと遊び続けました。数えてはいないけど結構な数のゲームソフトをプレイしたと思います。一番最初に勝ったタイトルは、コナミのイーアルカンフーと任天堂のマリオブラザーズ。その年にさらにスターフォース、ワープマン、スーパーマリオブラザーズ、忍者じゃじゃ丸くんなどを自分で買い、あとは友達とソフトを貸し借りしていろんなゲームをやりました。85年に出たタイトルだと、69本中、50本以上はなんらかの形で一度はプレイしたことがあります。しかし、実際完全にクリアできたゲームって意外と少なかった気がします。


当時のファミコンのゲームには、今のようにセーブ機能がまだなかったし、イーアルカンフーみたいに5ステージクリアすると、その後また同じ敵キャラクターが出てきて延々とループを繰り返すゲームもあれば、マリオブラザーズみたいに終わりがないフィックス(固定画面)ゲームもあったり。初期の任天堂のゲームはマリオのようなタイプが多かったですね。ちなみに、コナミのファミコン用ゲーム(ディスクシステム除く)は、計57本発売されていますが、そのうち自分がやったことあるゲームは、20本程度。その20本のうちクリアできたゲームをいくつかご紹介致します。






けっきょく南極大冒険



ペンギンが南極大陸にある各国の基地間を走り抜け、制限時間内に到達できればクリアとなるアクションゲーム。南極大陸を一周することが目的で、最終目的地の南極点まで全10ステージある。進路の途中には、穴やアザラシなどの障害物が出てきたり、旗を取ると頭にプロペラがついて、一定時間飛ぶことができる。イーアルカンフーに続く、コナミの第2作目のゲームで、当時の子供は大体やっているはずだと思うのですが、操作はわりと簡単で、上ボタンを押して加速させ、たまに出てくる障害物をジャンプで飛び越えたり、左右に避けるぐらい。レースゲームの車をペンギンに置き換えて、まったりさせたような感じのゲームという印象でしたが、当時は、穴から出てくるアザラシに何度も引っかかって、半分ぐらいのステージしか進めず、全クリするまでに時間がかかってしまいました。何年か前に何十年か振りにこのゲームをやってみたら、15分程度て難なくクリアでき楽勝でした。初めての人でも気楽に楽しめ、サクッとクリアできちゃうのではないでしょうか。





グーニーズ



1985年に公開されたアドベンチャー映画「グーニーズ」を元に製作されたアクションゲーム。目的は、ドクロマークの箱の中に閉じこめられた7人の仲間を救出し、出口の扉を見つけて脱出すること。5ステージ全100面(1ステージ20面)あり、屋根裏部屋、洞窟、船など映画の世界観に沿ったステージ構成になっている。ドクロマークの箱の中には、仲間の他に様々なアイテムがあり、各ステージの出口の扉を開ける鍵や、体力が回復する赤い壺、武器になるパチンコなどが隠されている。


ステージごとに鍵を3つ集め、仲間を一人(ステージによっては二人)救出して出口の扉に向かうとクリアとなる。これらの作業だけで一応全面クリアすることも可能なのですが、ステージが進むごとに様々な障害が増えていくので、それらをかわしながらクリアするのは、かなり至難の業になります。障害から身を守るための秘密のアイテム(防水服や耐火スーツ、ヘルメットなど)をそろえれば、余裕で全面クリアできますが、問題なのは、それらのアイテムは、ある特定の場所に隠されており、ある操作をしなければ出現しない。それらを見つけ出すのがかなりハードな作業でしたね。結局、秘密のアイテムを手に入れないまま、炎や水滴や滝に当たってダメージを受けながら死に物狂いでクリアしたこともあるのですが、やはり、秘密のアイテムを何とか見つけ出したくてもう一度最初からやり直したり・・・。今は、ネットなどで調べると、簡単に秘密のアイテムの場所や操作方法を知ることができますが、当時は、当然そんなものはなく、渋々400円出して攻略本を買い、アイテム探しに奔走した思い出があります(苦笑)。





火の鳥鳳凰編 我王の冒険



1986年に公開されたアニメ映画「火の鳥 鳳凰編」のゲーム化。横スクロールのアクションゲームで、主人公の我王を操り、ノミを武器にしていろんな敵を倒し、鬼瓦を用いて様々な障害を乗り越えながら、火の鳥の彫刻のパネルを16枚集めて絵を完成させるとクリアとなる。全16ステージあり、「大和(8ステージ)」「来世(5ステージ)」「太古(3ステージ)」という3つの世界で構成されている。各ステージにいくつかのワープゾーンがあり、それを見つけ出して3つの世界を巡りながら1ステージごとに1枚のパネルを入手していく。操作に慣れてくるとスピード感も出てきて、中々スリリングで楽しいアクションゲームでしたね。当時病みつきになったゲームの一つです。


ワープゾーンはブロックの中に隠されていますが、結構簡単に見つけ出すことができるし、3つの世界を巡ることもスムーズにできました。ただ、足場のブロックを破壊する操作(上に乗ってしゃがんで3回ジャンプ)を知らないままゲームを進めると、必ず行き詰る。と言うか、全ステージクリアはできません。それはなぜかというと、その方法を使わないと大和の第8ステージのワープゾーンを見つけ出すことができないからです。15枚のパネルは素早く集められることができたが、火の鳥の顔の部分のパネルが置かれているこのステージは、言わば、隠れステージみたいになっているので、見つけ出すのにかなり時間がかかりました。



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子供の時は、すごろくでよく遊んだ思い出があります。子供向け雑誌の付録についていたすごろくを学校に持っていって、友達とサイコロを振りあってよく楽しんだものです。このすごろくの発展系のボードゲームと言えば、「人生ゲーム」。ファミコンが世に出る前は、家の中での遊びの主流はボードゲームで、ゲームセンター嵐をはじめ、いろんなものを持っていたが、定番中の定番と言えばやはりこれでしたね。サイコロの代わりにルーレットを回して、人間ピンをつけた自動車型のコマを進めて、自動車保険や火災保険、生命保険に加入し、職業選択、結婚、出産と、実際の人生に沿った様々なイベントを潜り抜けて、儲けたり損をしたり、色つきの札束をもらって騒ぎまくっていました。


ファミコンが出ると、みんなそっちに夢中になって、ボードゲームをやる回数も激減したが、当時は、意外にすごろく型のファミコンソフトがなく、なんで作らないのかなと考えていたところ、ハドソンが「桃太郎電鉄」というソフトを出してきた。プレイヤーが鉄道会社の社長になって、北海道から九州まで日本中の鉄道を走り回り、全国各地の物件を購入して資産を増やし、億万長者を目指す。このソフトが手に入るやいなや、友達が集まった時は、このゲームに夢中になりました。1作目は、1年が春夏秋冬の4ターンしかなく、サイコロを振り、最大4人のプレイヤーがそれぞれの目的地に向かって自分の列車を進め、止まった地点でまた2個のサイコロを振り、イベントを決定する。鉄道や各地の物件を購入し、収益額を増やして最終的に岡山にある桃太郎ランドを真っ先に購入した者が勝利者となる。


この桃太郎電鉄、以後ファミコンからゲーム機の変遷を経て、今までに20本以上の続編が発売され、四半世紀に渡る人気ゲームとなっているわけですが、私がやったことがあるのは、スーパーファミコンの時代に発売された「スーパー桃太郎電鉄DX」まで。最新のはビジュアルや内容も数段面白くなっているんでしょうが、1作目から5作目に当たるDXまでにも劇的な変化が見られた。1作目は、プレイヤーそれぞれ別の目的地に向かって列車を進め、地味に収益を上げていたが、DXになると、プレイヤー全員が一つの目的地に向かって列車を進めるようになった。一年が決算月の3月を除く12ヵ月・11ターンとなり、カードシステムが導入され、カードによって移動のスピードを上げたり、持ち金を増やしたり、逆に損害を与えられたり、別のプレイヤーに攻撃できるようになった。海路や空路にもマスが設けられ、サイコロの出た数で進められるようになった。



何より、このゲームを劇的に面白くしたのは、2作目の「スーパー桃太郎電鉄」から登場した貧乏神の存在でしょうか。誰かが目的地に到着した時点で、そこからもっとも離れた地点にいるプレイヤーの列車に貧乏神がとりつき、カードを2倍の値段で強制的に買わせたり、購入した物件を勝手に売り払ったりするなど、様々な悪さをする。3作目の「スーパー桃太郎電鉄Ⅱ」からは、この貧乏神がミニボンビー、そして最凶のキングボンビーに変身するようになる。このキングボンビー、サイコロを10個も使って、持ち金を一気に減らして、億単位の借金を背負わせるわ、カードは全部捨てるわ、サイコロで出た数だけ購入した高額物件を捨ててしまうわ、本当に無茶苦茶なやつだ。今まで結構いろんなゲームをやってきたが、こいつ程身震いさせられたキャラはいない。やることもえげつないが、見た目が白塗りの悪魔風メイクに、裸に安っぽいふんどしとマントスタイルって・・・。町で歩いてたら絶対捕まるよね(苦笑)・・・。登場するときの演出や、胸に迫る極悪なBGMがまた強烈に響いてくる。


キングボンビーが登場してからは、一秒たりとも貧乏神と一緒にいたくないと思うようになり、近くにいる別のプレイヤーの列車になすりつけたり、それがエスカレートして、なすりあいのバトルになったりもしたが、やはり何か一つは対抗手段が欲しい・・・。4作目の「スーパー桃太郎電鉄Ⅲ」から、ロボット研究所が登場し、そこで開発されたメカボンビーでキングボンビーを倒すことが可能になった。もうこれで怖いものなしだと思い、DXでもメカボンビーを準備したが・・・勝てない。なんと、キングボンビーが前作より強くなっていた。DXのロボット研究所には、メカボンビー以外にもプチキャノン、Bコロコロ、ヤマトザムライと呼ばれるカプセルロボが出てくるがいずれも勝率が低い。メカボンビーの改良型としてメカボンビーRXも登場したが、こいつを使ってもやはり負けたことがある。RXって、由来はやはりライダーBLACK RXから来てるんでしょうかね・・・(苦笑)。



桃鉄は地味に落ち着いてプレイできるファミコンの1作目もいいが、キングボンビーの出現に怯えながら日本各地を旅するスーパーファミコン版のほうも面白かった。最新作もまた機会があればやってみたいが、いずれもキングボンビー、あいつだけには絶対会いたくないものです(苦笑)。




ビンボーはいや!!




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ファミコンと言えば、カセットだけでは楽しめないゲームも数多くありましたね。例えば、キーボードを使ってゲームプログラミングや音楽制作などをするファミリーベーシックや、ゲーム画面と連動させて、付属のロボットを遠隔操作するロボットゲームもあった。これ以外にも、特別な機器を使って楽しむファミコンソフトがいくつかありました。





『ワイルドガンマン』

今から丁度30年前の1984年に任天堂から発売されたガンシューティングゲーム。所謂西部劇の早撃ちを体現できるアクションゲームですが、これを楽しむには、カセットに付属する光線銃が必要だった。早撃ちと言えば、腰のホルスターから素早く銃を引き抜いて相手を撃つので、専用のホルスターも付属されていました。7000円以上もする高額なソフトで、発売当時まだファミコンを持っていなかったので友達の家で何度かやらせてもらったが、抜いて撃つと言う単純な作業のわりに、中々うまく当てることができなかったような・・・。子供だったから難しそうに見えたけど、今なら余裕で何人も倒せそうな気が(汗)。

当時、私はこれしかやれなかったのですが、光線銃を使ったソフトは、他にもありました。カモ撃ちやクレー射撃を楽しむ「ダックハント」や、画面に登場する警察官、市民、ギャングのパネルの中から瞬時にギャングを見つけて射撃する、ダーティハリーや昔の日本のアクション刑事ドラマでもよく見られた射撃訓練シーンを再現したような「ホーガンズアレイ」と言うゲームもあったそうです。













『アスレチックワールド』

1986年、バンダイが専用のマットの上に立ち、手足を使って操作をする体感ゲーム「ファミリートレーナー」シリーズを発売。その第一弾のソフトとなったのがこのアスレチックワールドでした。付属のマットは、両面仕様になっていて、このゲームはそのA面を使用して遊ぶ。これも当時8000円以上もする代物だったので、この時ファミコンは持っていたけど、購入は不可能と言うことで友達の家でやらせてもらいました。子供だったからわりと器用に動けたけど、今やったら、運動不足の解消に最適なゲームになりそう・・・(苦笑)。

他にもマットB面を使って100メートル走や走り幅跳びなどの陸上競技を体感できる「ランニングスタジアム」や、エアロビクスダンスを体感する「エアロビスタジオ」など、合計10タイトルのトレーナーシリーズが発売されています。1987年に、当時大人気を博した一般視聴者参加型アトラクション番組「風雲たけし城」がこのシリーズでゲーム化され、「突撃!風雲たけし城」と言うタイトルで発売された。CMで見た時は面白そうだからいつかやってみたいと思っていたが、結局未だにやったことがない…(苦笑)。それにしてもCMで言ってた認定証ってなんだ・・・!?












『アルカノイド』

ブロック崩しの定番のアルカノイドと言えば、当時、どこのゲームセンターに行っても必ず見かけた人気のアーケードゲームでしたが、1986年、タイトーがついにファミコン版を発売しました。ファミコンのコントローラーでもバウス(ボールを打ち返すラケット)の操作ができたが動きが非常に鈍かった。ゲームを開始して時間が経過してくると、しだいにエナジーボールのスピードが速くなるので、コントローラーの操作では、その速さについていけなくなる。と言うことで、ファミコン版には、専用のダイヤル式コントローラーが付属されていた。これ当時5500円と、通常のソフトと比べると若干お高めでしたが、これは買ってうちでよくプレイしました。ダイヤル式コントローラーも最初のうちは使い勝手が悪くて慣れるまでに時間がかかったが、使いこなせるようになるとまあ楽しい。しかし、当時ワープなども使って最高で10面ほどしか進めなかった・・・。










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発売から30周年を過ぎまして、語られることが少なくなってきたファミコンでございますが、たまにふと思い出してまたやってみたいと思うソフトがあったりします。ついでにBGMも懐かしくて久しぶりに聴いてみたくなることも。印象に残るファミコンのBGMの中でも一際耳に残るのがクラシックアレンジ以前にも取り上げたことがありますが、やはり、クラシックアレンジと言えばハドソン・・・いや、他のメーカーにもいろいろありましたよね。




『シティコネクション』

1985年にジャレコから発売されたカーアクションゲーム。4段のラインの上を車が走る横スクロール型で、15歳の少女・クラリスが運転するクラリスカー(モデルは、ホンダシティの初代型)を操り、迫ってくるパトカーをジャンプで避けたり、拾ったオイルでスピンさせて撃退したり、突然画面に出現するおじゃまネコや竹の子などをかわしながら、4段のラインを全て真っ白に塗り潰すと一面クリアとなるコミカルなカーゲームだった。クラリスの年齢設定が15歳だったと最近知ったが、こんな設定が通るのもいかにも80年代らしくて良い。当時はキャラクターの設定まで気にしていなかったのでちょっとびっくりしましたが(笑)。


このゲームの特徴と言えば、クラリスカーが軽快にジャンプできること。ラインとラインの谷間を豪快にジャンプさせたり、オイルでパトカーをスピンさせたりして、当時はかなり熱中しました。今思うと、ナイトライダーの世界観に近いものがありますね。そのナイトライダーにもファミコンソフトがありましたが、あれは運転席視点の画面構成になっていて、自分がマイケルになったような感覚でのジャンプが楽しめたけど、やはり、このゲームみたいに車が動いている画も欲しかったなあ・・・。


ところで、ゲーム中に流れているBGMは、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調第1楽章」のアレンジ。クラリスカーで走り続けていると、画面に急出現するおじゃまネコを踏んでしまうと「猫踏んじゃった」のメロディが流れていたが、本当にこの猫腹立つぐらい邪魔だったな・・・(苦笑)。











『プーヤン』

1985年にハドソンから発売されたフィックス型のアクションゲーム。狼にさらわれた子豚のプーヤンを救うため、ママ豚が弓矢を武器に狼を打ち倒していくという内容。プレイヤーは、ママ豚が乗るゴンドラを上下に操り、降下、または上昇してくる狼の風船を弓矢で打ち落とすというシンプルなゲームでした。弓矢の攻撃よりも肉を投げつける肉攻撃で狼達を連続で落としていく時の爽快感がたまりませんでしたね。打ち落とせなかった狼達がゴンドラの後ろにあるはしごを上ってきて、ママ豚に噛みこうとして邪魔をしてくるのですが、ほんとこれにはイライラさせられた(苦笑)。当時は、主人公がプーヤンだと思っていたんですが、あれママ豚だったんですね。兄貴の名前がブーヤンて・・・。せいぜい頑張っても4、5面程度しか続かなかったが、結構きついゲームだったような・・・。


ゲーム中に流れているBGMは、ドボルザークの「ユモレスク 第7番」のアレンジが使用されていました。そう言えば、ゲームのスタート画面では、「森のくまさん」が流れていましたね。











『サーカスチャーリー』

1986年に発売されたアクション。ピエロのチャーリーを操り、火の輪くぐりや綱渡り、玉乗りなど、様々な演目にチャレンジしていく全5ステージで構成される文字通りサーカスをテーマにしたアクションゲーム。コツさえ掴めば、4面の曲乗りぐらいまでは軽々クリアできるが、5面の空中ブランコはタイミングが掴めなくて中々クリアできなかった。でも、数年前に久しぶりにやってみたら、わりと簡単にクリアすることができて、なんだかあっけなかった・・・。アーケード版には、水上トランポリンのステージなどもあったらしいが、ファミコン版にも入れて欲しかった・・・。


ゲーム中に流れているBGMは、ミーチャムの「アメリカン・パトロール」







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今日は、ファミコン誕生30周年の記念日と言うことで、珍しくぶっ続けでファミコンネタです。東京ディズニーランド開幕、校内暴力事件続出、三宅島大噴火、松田優作主演の映画「家族ゲーム」、「戦場のメリークリスマス」公開。テレビドラマは、「太陽にほえろ!」ボギー編、「西部警察PARTⅢ」「月曜ドラマランド」「スチュワーデス物語」「おしん」。アニメは、「キン肉マン」「スプーンおばさん」「伊賀野カバ丸」「銀河漂流バイファム」など、以上83年の出来事&テレビ状況でした。テレビドラマは、アクションものも多くてまだまだ活況だったし、特撮やアニメもどんどん進化を遂げていた。そんな中、突如現れたのがファミリーコンピュータだった。ファミコン以前は、ゲームウォッチとかカセットビジョンなど家庭用のゲーム機もあったが、何よりファミコンは、映像の鮮明さや動きの滑らかさがそれ以前のゲーム機よりもはるかに進歩していて衝撃的だった。今改めてやると、映像的には、古さを感じさせるものもあるが、内容は、今よりもアイデアに富んでいて、挑戦的かつ先鋭的なゲームが多かったと思います。



1983年に発売されたファミコンソフトは、本機を作った任天堂が出した9本のタイトルのみ。その中には、マリオブラザーズやベースボールなどのタイトルも含まれているが、たった9本だけだったのが意外ですね。翌年の84年からハドソンやナムコなど他社のソフトメーカーが参入し、ロードランナーやゼビウスなどの人気タイトルが続々出始めた。私がファミコンを購入した85年の9月辺りには、スーパーマリオブラザーズも出ていたし、コナミやタイトー、ジャレコなどのゲームメーカーも参入して、ますますタイトルが増えていた時期でした。



ファミコンブームの影響なのか、あの頃近所の商店街には、ファミコン専門のショップが開店し、店に子供達が溢れかえっていましたね。ショーケースや棚に山積みにされたカセットの箱をジロジロ眺めるのが楽しくて毎日通っていたこともありました。その店では、毎月ゲーム大会が開かれていたのですが、一度だけ参加したことがあります。その時やったゲームは、確かスカイキッド。横スクロールのシューティングゲームでしたが、操作が不慣れですぐにミサイルに当たってゲームオーバーに。結果は散々だったがもう味わえない経験だし、今となっては良い思い出ですね。


1986年には、エニックスからドラゴンクエストが発売され、さらに盛り上がりを見せる。この頃になるとアクションゲームも内容が充実し、それと共に音楽もとても印象に残るものが多くなった。と言うことで、今回は、1986年に発売されたファミコンソフトの中から未だに記憶に残っているBGMをご紹介致します。






『ドラえもん』

この年、『忍者ハットリくん』を大ヒットさせたハドソンが、再び藤子アニメ作品をゲーム化。ハットリくんと言えば、アニメの主題歌とクラシックを融合させたBGMの出来が大変素晴らしかったことでも記憶に残るゲームでしたが、ドラえもんのBGMも中々耳に残った。このゲームは、「開拓編」「魔境編」「海底編」と3つの世界で構成されていたが、その中でも一番印象に残ったのは、開拓編のコーヤコーヤ星ステージで流れるBGM。秘密道具を一通り集めて、マンホールの迷路を抜け、さあ次は、どんなステージが待ち構えているのかとワクワクしていたら、敵の猛襲が凄まじいちょいムズステージだった。ここをクリアするのに、結構時間がかかったけど、気に入った音楽が何度も聴けるので苦ではなかった(笑)。











『迷宮組曲』

おなじくハドソンから発売されたアクションゲーム。ボーナスステージのBGM演出(7つの楽器をそろえて、一つの曲を完成させる)も話題になったゲームです。各部屋のワルツ調のBGMも良いのですが、やはり一番印象に残ったのは、井戸のステージや3階の塔の中にある氷の部屋、迷いの部屋などで流れていたBGM。半音階の不気味なメロディとステージの雰囲気が絶妙にマッチングし、一瞬でお気に入りになった曲です。不安感をそそられ、焦って自機を素早く走らせた挙句、敵の猛攻を食らってゲームオーバーなんてこともよくありましたね。












『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』

同年に公開されたアメリカ映画「キングコング2」のゲーム化。記録によると、映画の公開よりもファミコンソフトの発売のほうが早かったそうです。ツインビーやグラディウスなど、当時ゲーム音楽でも評価が高かったコナミから発売されたアクションゲーム。文字通りキングコングが建物などをパンチやジャンプや岩などを使って次々とぶっ壊していく痛快な内容なんですが、それに相反するような哀愁感漂う切ないメロディが印象に残りました。ステージごとに微妙に異なるアレンジが施されているところも良かったですね。








やはり、この時代のハドソンとコナミの音楽は、最高です。



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意味もわからず、あっという間に殺られちゃったゲームが色々ありましたよね。説明書も読まずにやるもんだから、ふいと気づいたらゲームオーバーになっていたのが結構ありました。今回は、気づいたらゲームオーバーだったソフトをご紹介致します。




『カラテカ』

スーパーマリオと同じくお姫様を救出すべく、一人の空手家がアクマ将軍に立ち向かう横スクロールの格闘アクションゲーム。ゲームをスタートさせると、ポツンと主人公の空手家が立っていて、楽しいBGMが流れるかと思いきや、海から聞こえてくる小波の音のみと言う不思議な世界観も当時話題になった。とりあえず、画面の右方向に向かって空手家を少し走らせると、さっそくアクマ将軍(どこかで聞いた名前だな…)の部下の下級アクマが立っている。さあ、戦いだと思っていたら、あれ…


   

バタ。



下級アクマにぶつかっただけで突然のジ・エンド。戦う前に構えのポーズを取って「戦闘状態」にしなければいけなかったらしい。そんなの聞いてないよ~!と言いたいところだが、説明書は、きちっと読むべきでした(苦笑)。友達に借りたゲームだったから説明書がなくて、結局最初は一向に進まず、ただただポカンとするだけだった。






『トランスフォーマー コンボイの謎』

文字通り、最近は実写映画も話題になった人気ロボットアニメのファミコンゲーム。「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010」に登場していたウルトラマグナスが主人公になっている。ロボット形態とトレーラー形態にトランスフォームできるが、ゲームをスタートさせるといきなり戦闘機のミサイル攻撃で…



  

ドッカーン。



一度もトランスフォームできず、不意打ちのミサイル食らってあえなくゲームオーバー。ミサイルちっこくて見えにくいし、こんなのってあり?と思った当時。全10面あるらしいが、とにかく難易度が高いと言われているこのゲーム。もちろん私も未だにクリアしたことがありません。






『スペランカー』

主人公の探険家が秘密の洞窟に入って、地底にある秘宝の山をめざすアクションゲーム。ゲームをスタートさせるとなんとも陽気で軽快なBGMが流れ出して、ゲーム意欲を沸かしてくれますが何かと謎も多いこのゲーム。エネルギーゲージを気にしながら、コインやら爆弾やらいろんなアイテムを取って、エネルギーを補給して、はしごやつたを上り下りし、トロッコや壷に乗ったり、赤と青の鍵を揃えて、どんどん下へ下へと進んで行く。言うのは簡単ですが、結構きついんですよね。何がきついかって…


 


ちゃんちゃちゃんちゃ

ちゃんちゃちゃんちゃ
ちゃんちゃんちゃん



すぐ死ぬと評判だったが、本当によく死ぬ。始まって3秒で死ぬ。死亡判定がきつい。当たり判定もきついし、落下判定もきついし、仕掛けた爆弾から逃げる時どこまで離れたら死なないのかそれもよくわからなかった。その高さから落ちたくらいで…などととにかくぼやきまくりでした当時。でも数年前に再チャレンジしたら余裕でクリアできた。結構楽勝でした。でも2週目以降はやらなかったので、難易度がどれぐらい上がっているのか知りません。気になるけどもうやれない(苦笑)。




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