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10年の時を経て遂げたエボリューション!! さぁ私のぼやきを聞いておくれ!
2024/04月

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このファミコン熱中記も「ミニぼやき」の時代からかれこれ8年近く書き続けております。当初は、任天堂、ハドソン、コナミ、タイトー・・・など、メーカーごとにプレイしたゲームの思い出を語っていましたが、まだ触れていなかった有名なメーカーがありました。それは「カプコン」。カプコンと言えば、「ストリートファイター」シリーズや、「バイオハザード」シリーズ、「ロックマン」シリーズなどなど、アクション系の名作を次々と世に送り出したゲームメーカー。



カプコンが最初に出したファミコンソフトは、1985年に発売された「1942」。スティーブン・スピルバーグが監督した「1941」と言う戦争映画もありましたが、1942は、アメリカの戦闘機P-38ライトニングを操って、日本軍の戦闘機や軍艦と戦う内容で、スターフォース、ツインビー、アーガスなどと同じく強制縦スクロール型のシューティングゲーム。当時、シューティングが大好きっ子だったので、このゲームにもどハマりしました。機体を宙返りさせることができるのがこのゲームの特徴の一つでした。




 



この3年後に発売された「1943」は、1942よりもさらにパワーアップして、残機制からエネルギー制になり、豊富な武器を使えたり、メガクラッシュを使って画面上にいる敵を全滅させることができるなど当時としては、斬新なシステムがたくさん盛り込まれていました。グラフィックも若干向上して、敵ボスの軍艦や爆撃機などが迫力があり、中々楽しいシューティングゲームでした。







 



1942の次に発売された「ソンソン」は、「西遊記」の日本版の絵本をモチーフに作られたもので、プレイヤー1の猿のソンソン(孫悟空)と、プレイヤー2の豚のトントン(猪八戒)を操り、6段で構成されたフィールドを突き進んで天竺をめざす強制横スクロール型のアクションゲーム。ソンソンは、一応孫悟空のイメージだが、如意棒や妖術が使えるわけでなく、武器は気合弾のみなので、言わば、西遊記版のシューティングゲームのような感じでしたね(笑)。とにかくひたすら横に前進して、次々に現れる敵をショットで撃ち倒したり、砦で戦ったりするだけなのでテンポが良いし、軽快なBGMとの相乗効果でサクサクと進めることができました。








カプコンと言えば、やはり忘れられないのが「魔界村」。発売日がスターソルジャーと同じ1986年の6月13日の金曜日。ジェイソンを思い起こさせる日に魔界村を出すという、狙った発売日だったことと、スターソルジャーとどっちを買うかで相当血迷ったことも重なって、この日は今でも鮮烈に記憶が残っています(苦笑)。結局、魔界村は弟が買い、スターソルジャーと合わせて毎日プレイしたが、スターソルジャーがどんどん進んでいくのとは対称的に、魔界村は、何度やってもステージ1でゲームオーバーになってしまう。最初の難関は、あの赤野郎のレッドアリーマー。こいつに毎回コテンパにされた挙句、ゲームを続ける気力さえも奪われてしまい、しばらくスターソルジャーだけをやるはめに(笑)。









スターソルジャーが一段落したので気を直してもう一度魔界村にチャレンジしてみたら、ボスの一角獣も難なく倒して意外と簡単にステージ1をクリアすることができた。しかし、ステージ2でまた最大の難関、大男の館である。この大男、プレイヤーを見つけるやいなや猛突進してきて、執拗に鉄球を投げつけてくる。耐久力が強くて10発攻撃しないと倒せないというやっかいなキャラで、こいつのせいでまたしばらくの間魔界村とは疎遠になった(笑)。



結局のところ、当時は、レッドアリーマーと大男のせいで魔界村をクリアできなかったのですが、いまから十数年前に再チャレンジしたら、なんとかステージ5までいけたが、クリアはならず(苦笑)。ステージ3もレッドアリーマーが大量におり、ひたすら逃げたり消したりしながら進み、ボスのドラゴンにも難儀したが、動きをよんで撃ち倒した。ステージ4の移動足場と、炎の橋もやっかいでしたね。ステージ5もレッドアリーマーと大男とブルーキラーの連続で、容赦ない攻撃の激しさに耐えることができなかった。いつかまたチャレンジしてみたいですが、せめてセーブポイントぐらいはつけて欲しかったですね(苦笑)。



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ドラゴンクエストのファミコンソフトが発売されてから今年でちょうど30周年だそうですが、1986年と言えば、人生の中で一番ファミコンゲームをやりまくった一年だったような記憶があります。ちなみに、個人的に1986年に発売されたゲームソフトの中で思い出に残っているゲームベスト10を挙げるならこのような感じ。




① 迷宮組曲
② 忍者ハットリくん 忍者は修行でござるの巻
③ スターソルジャー
④ 高橋名人の冒険島
⑤ スーパーゼビウス ガンプの謎
⑥ がんばれゴエモン!からくり道中
⑦ グーニーズ
⑧ ドラえもん
⑨ スーパーチャイニーズ
⑩ 魔界村




当時、シューティングゲーム大好きっ子だったので、「グラディウス」や「ツインビー」「アーガス」なども入れたかったのですがあえて割愛。上に挙げた10本のゲームは、一応、自分で買ったものばかりですが、友達の家でやってハマったゲームもいくつかありました。「東海道五十三次」「バベルの塔」「アトランチスの謎」「ソロモンの鍵」辺りは、友達と遊ぶゲームの定番でしたね。後、友達から借りて全くクリアできなかったゲームもありました。「トランスフォーマー コンボイの謎」「キングスナイト」「たけしの挑戦状」。トランスフォーマーは、最初の敵のミサイルを避けられず撃沈することが多かった。キングスナイトは、最初のボス戦に勝てず、たけしの挑戦状は、世界観が理解できず葬式の画面ばかり見ていたような記憶があります(苦笑)。


10本のうち7本のゲームはクリアしましたが、「スーパーチャイニーズ」「魔界村」「高橋名人の冒険島」は、クリアできなかった。スーパーチャイニーズは、ユニゴンと言う名の巨大なモンスターに必ず殺られた。魔界村は、レッドアリーマーにも梃子摺ったが、ステージ2に出てくる大男の攻撃力と耐久力が凄まじくて、以後前進できず。高橋名人の冒険島は、8-1の山のステージが手強くてそれ以降は進めなかった。あまりに敵と障害物の数が多く、毎回、ナスビの卵を取ってしまいパワーを減らされてゲームオーバーになっていました。


10本のうち5本は、ハドソンのゲーム。当時は、藤子アニメ全盛時代で、ハットリくんやドラえもんのゲームも大ヒットしていましたね。記憶に残るゲームは、必ずBGMも良いですが、とくに当時のハドソンやコナミ、カプコンのゲームのBGMは、良い曲が多かったです。と言うことで、1986年に発売されたゲームソフトの音楽ベスト10も挙げてみますと、



① 迷宮組曲
② スターソルジャー
③ グラディウス
④ グーニーズ
⑤ ツインビー
⑥ キングコング2 怒りのメガトンパンチ
⑦ 忍者ハットリくん 忍者は修行でござるの巻
⑧ 東海道五十三次
⑨ 魔界村
⑩ ソンソン


ザッとこんな感じ。迷宮組曲は、ゲーム内容も当時としては画期的で、音楽も名曲揃いでしたね。グラディウスは、ステージ1の曲も良かったし、触手つきの細胞球が出てくるステージの音楽も好きでした。シンディー・ローパーの「The Goonies 'R' Good Enough」をアレンジしたグーニーズのBGMも良いメロディでしたね。キングコング2 怒りのメガトンパンチのメインBGMは、映画音楽のアレンジではなく、オリジナルのBGMでしたが、勇壮感がみなぎっていてゲームの世界観ととてもマッチしていました。




●ツインビー(コナミ)



パワーアップした時の曲がお気に入りでしたね。





●ソンソン(カプコン)



軽快なBGMに乗せられて、サクサク進みましたね。





●迷宮組曲(ハドソン)



この城内のBGMも良いし、井戸のステージのBGMも良かったですね。



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いつの間にか(自分の中で)毎年恒例になった30年前を振り返る特集ですが、今年も趣向を変えてまた書いてみます。1986年も色々と印象に残る出来事がありました。


当時のアメリカの大統領は、ロナルド・レーガンでしたが、最近、その夫人のナンシーさんが亡くなりましたね。アメリカを代表する大統領と言えば、クリントンやブッシュよりも未だにレーガンのイメージが強いですね。現在、大統領候補として戦っているトランプ氏の人気ぶりを見ると、当時のレーガン大統領を彷彿とさせるところがありますね。トランプ氏がテレビタレントとして活躍していることと、レーガンが大統領になる前に俳優として活躍していたところも重なります。わりとマジでこの人が大統領になりそうな雰囲気がありますが、混戦激しい今年の大統領選挙の行方も大変気になるところです。この年、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が初来日して、東京で行われたパレードの様子がテレビ中継されていました。日本では、ダイアナ旋風が巻き起こって、来日中は、連日盛り上がっていましたね。


アイドル歌手の岡田有希子が事務所のビルから飛び降り自殺したのもこの年。当時、TBSで放送されていた「禁じられたマリコ」という岡田有希子が超能力少女を演じたドラマを最終回まで見たので、自殺の一報を聞いた時は、結構ショックを受けましたね。シリアスなドラマでしたが、かなり陰鬱な展開が多く、彼女が演じた超能力少女もかなりエキセントリックな役どころだったので、自殺の原因は、もしかしたらこのドラマの影響もあったのではないかと当時色々と憶測しましたが、真相は未だにはっきりしません。


ソ連のチェルノブイリの原発事故や、余部鉄橋の列車転落事故など、大きな事故が多かった年でもありますが、特に印象に残っているのが、アメリカのスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故。朝のNHKのニュースで衝撃的な映像を見て、身震いした記憶があります。この事故が起きる数ヶ月前に、「チャレンジャー」というファミコンソフトが発売されて、当時そのゲームに夢中になっていたのですが、この事故の後しはらくの間、チャレンジャーって言葉を聞くたびに、ゲームとこの事故のことを一緒に思い出すようになってしまいました。



ところで今年は、ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」の発売から30周年。1983年にファミリー・コンピュータが発売されてから3年目になり、ファミコンソフト市場も豊作期に入り、様々なジャンルのタイトルが続々出ていました。私もこの年は、自分で買ったり、友達から借りたりしてたくさんのファミコンゲームをプレイしました。自分で買った中で一番思い出のあるソフトは、「スターソルジャー」。発売日が6月13日の金曜日で、同じ日に「魔界村」も発売されたので、どっちを買おうか物凄く迷いました。


前年にスターフォースを買ってそれ以来シューティングゲームにのめり込んでいたので、スターフォースの進化版であるスターソルジャーは、絶対手に入れかったし、ゲームセンターで何度かプレイしたことがあった魔界村も欲しかったが、両方を手に入れることは、金銭的に困難だったので、一週間ぐらい悩んだ末、やっぱりスターソルジャーを買うことに決めました(苦笑)。スターソルジャーは、一ヵ月ぐらいで表面をクリアして、そのことを自慢げに友達に話したら、「裏面は?」って友達に聞かれた。バリアを張ると、もろくそ誘導弾を撃ってくるあのグロステクな裏面をクリアすることは、当時は、さすがにできなかった(笑)。5方向連射とバリアが装備された時に流れ出すパワーアップのBGMが断然盛り上がりますね。人の顔をしたラザロと呼ばれる敵キャラが出現する時のBGMや、ステージの最後に登場するスターブレイン(またはビッグスターブレイン)出現時の不気味なBGMも印象的でしたね。








友達に借りて遊びまくったゲームは、「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。当時放送中だった第3期のアニメシリーズと共に、このゲームにも夢中になりました。アクション性や操作性が抜群に良く、鬼太郎をスピーディに動かせることができ爽快感がありました(妖空魔境を除いて)。アニメで御馴染みのキャラが総登場して、鬼太郎の不気味でおどろおどろしい世界観をしっかり再現していたところも良かった。目玉の親父が1upキャラだったり、ぬりかべ、子泣き爺、砂かけ婆がボス戦で鬼太郎をアシストしたり、ねずみ男が臭い息を投げつけて、鬼太郎の邪魔をするなど、キャラの位置付けも適材適所と言う感じで納得できた。タイトル曲や魔境ステージの軽快なBGMがとても心地良く耳に残りました。








1986年と言えば、ディスクシステムが発売された年でもあります。うちは、前年にファミコンを買ったばかりで、さすがに続けてディスクシステムを買うのは無理だったので、当時は、友達の家でゼルダの伝説や謎の村雨城、メトロイドなどをやりました。2年後にファミコンが潰れてしまったので、ツインファミコンを買い、その時にようやく自宅でディスクシステムのゲームができるようになりました。で、その時に改めてハマったのが「ゼルダの伝説」。8つの迷宮があるアクションRPGでクリアするまでに長時間を要するため、さすがに友達の家でやり続けることはできず、2年遅れでしたが、自分で買ってクリアしたゲームです。ディスクシステムの特徴としては、やはりサウンドが大きく進化したところでしたね。OPの曲を最初に聴いた時は、鳥肌が立ち、しばらくスタートボタンを押さずに聴き入っていました。









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1983年から94年までの間に約1000本以上のファミコンのソフトが発売されましたが、今改めてそのタイトルを確認すると、自分が熱中していたのは、1987年までのソフトで、それ以降はやったこともなければ知らないタイトルのほうが多かった。1988年に発売されたものでやったことがあるのは、当時地上波で放送されていたナイトライダーとエアーウルフ、スーパーマリオブラザーズ3、ドラゴンクエストⅢと指で数えられる程ぐらいしか思い当たらない。



1988年は、漫画やアニメ作品は然ることながら、当時人気があったテレビドラマや映画などのファミコンゲーム化が目立っていましたね。映画作品では、シュワちゃんのプレデターや、当時ブームだったキョンシーが主役の霊幻道士、孔雀王。当時脅威的な視聴率をマークしたNHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」や「武田信玄」などもこの年ファミコンソフト化されています。



宇宙刑事シリーズのオマージュ?らしきタイトルの「コスモポリス ギャリバン」が出たのもこの年でしたが、当時気にはなっていたけどビジュアルを見た時に違和感があったので、結局リアルタイムではやらなかった。ギャリバンには、アーケード版もありましたが、アーケードとファミコンとでは、少し内容が異なっていた。アーケード版の内容は、宇宙犯罪組織「アクー」を壊滅すべく、宇宙戦士ギャリバンが敵の基地に侵入し、首領のゴースを倒すというもので、宇宙刑事と若干ジャスピオンも入り混じった(苦笑)アクションシューティングだった。ファミコン版は、暗黒組織「マドー」を倒すため、宇宙連邦警察は、サイボーグ戦士・ギャリバンを敵の基地に送り込み、最後の戦いに挑むというもの。アーケード版は、ギャバンの敵組織の「マクー」を「アクー」に変えているのに対し、ファミコン版はシャリバンの敵組織の「マドー」をそのまま使っているところが面白いですね。





 

一条寺烈風の主人公がギャリバンに変身するこのタイトル画面を見た時は、ちょっとワクワクしたが・・・







変身ポーズはギャバン(蒸着)ではなく、シャイダー(焼結)っぽい。







変身したらブルースワットみたいになっちゃうところが摩訶不思議ファミコンテイスト!






攻撃法もアーケード版とファミコン版では違っていて、アーケード版は、パンチやキックの他、宇宙刑事シリーズには欠かせないレーザーブレードや、バスター銃(シャリバンのクライムバスターのオマージュと思われる)など剣や銃を使用。コズミッククラッシュと呼ばれる大技もありますが、これはきっとシャリバンクラッシュと、ジャスピオンのコズミックハーレーが合わさったものと推測(苦笑)。ファミコン版は、ビームブレード、メタルブレード、ファイアーブレードなどと名付けられた七種類のブレードが登場し、ブレードのレベルを上げて、攻撃力をアップさせることができる。また、ハイパーレイ、コスモブーメラン、カプセルボンバーなど、飛び道具のウェポンも使用可能。やってみると、確かに多少ながら宇宙刑事っぽさのある動きや雰囲気を感じることができたが、どちらかというと、当時ハマっていたナムコ版のスターウォーズや、ハドソンのファザナドゥなどのアクションRPGの二番煎じの印象が強かった。




ギャリバンを製作した日本物産と言えば、レースゲームのセクロスとか超高層ビルをひたすらよじ登るクレイジー・クライマーなどの個性的なアクションゲームを出していて、当時結構ハマりました。でも、なぜ日物が宇宙刑事のオマージュ作品を出しているのに、本家の東映から公式のソフトが出ないのか常々疑問に思っておりました。東映も当時「東映動画」の名でファミコンソフトを出していたので、いつかきっと宇宙刑事のゲームを出してくれるだろうと期待していたのですが、東映動画から出た実写作品のゲームは、スケバン刑事Ⅲぐらいしかなかった。東映の特撮のファミコンソフトは、90年代に入ってからバンダイから戦隊二作品と別のメーカーからソルブレインが出た程度。仮面ライダーも何本かあったけど、当時仮面ライダーより勢いがあったメタルヒーローのゲームがほとんど出ていないのが意外に感じましたね。



東映動画と言えば、「もっともあぶない刑事」のファミコンゲームも出していました。あぶ刑事の劇場版3作目をベースにしたアクションゲームでしたが、シンプルな横スクロールのアクションゲームで、当時結構ハマリました。なぜかタカよりもユウジばかりを使っていたような・・・(笑)。




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初めてファミコンと出遭ってから今年で丁度30年。最初に買ったソフトはイーアルカンフーとマリオブラザーズ。本当は、スーパーマリオブラザーズが欲しかったのですが、ファミコン本体を買った時、すでに売り切れ状態で簡単には手に入らなかった。当時のファミコン人気は、凄まじいもので、スーパーマリオと同様に発売当日に入手できないソフトがいくつかありましたが、忍者ハットリくんもその一つで、発売日前日に友達と一緒に自転車で玩具店を何件か回ったけどなかなか手に入らず、最後に回った東急ハンズでようやくゲットできた思い出があります。


そのハットリくんと同じ年(1986年)に発売されたドラゴンクエストの一作目は、それほど注目されておらず、私自身も最初はこの手のRPGには興味がなかった。発売してから半年後ぐらいに親戚の家で初めてプレイし、そこでその面白さに初めて気づき、ドハマリしそうになっていた頃に、Ⅱの発売情報が飛び込んできた。Ⅱが出た頃にはドラクエは社会現象を巻き起こすほどの人気になっており、発売日が平日だったため、当時の子供達は学校を休んで店の前に列を作るほどだった。さすがに私はそこまではしなかったのですが、早くⅡをプレイしたくてウズウズしていましたね。Ⅲが発売された時はもっと凄まじい人気になっており、どこの店に行っても売り切れで発売当日に手に入れるのは困難を極めました。今みたいにネット環境があれば、わざわざ学校を休んで店の前に並ばずとも、アマゾンなどでポチれば簡単に入手できたのかもしれませんが、あの時代は皆、人気ソフトを手に入れるのに必死でしたね。




さて、今日は7月18日ですが、今から丁度30年前に発売されたゲームソフトと言えば・・・









ドアドア



ドラゴクエストを生んだエニックスが初めてファミコン用に発売したゲームソフト。主人公のチュン君を操り、モンスター達をドアに誘導してその中に閉じ込めるパズルアクションゲーム。全てのモンスターをドアの中に閉じ込めたらステージクリアとなる。ステージは、一層から五層の床で構成され、全50面あります。敵キャラは、ナメゴン(オレンジのなめくじのようなモンスター)、インベ君(ピンクのクラゲのようなモンスター)、アメちゃん(青色のゼリーようなモンスター)、オタピョン(緑色のオタマジャクシのようなモンスター)の4匹。


この手の固定画面のアクションゲームのキャラって、素早く動き回ったりするものが大半なんですが、このゲームのキャラ達はノロノロしていて、実にまったりしています。ナッツ&ミルクやディグダグなどをやり慣れていた子供の頃は、このゲームのキャラのノロさがとても窮屈でついていけなくて20面辺りまで行ってギブアップしてしまいましたが、10年ぐらい前にもう一度やり直してみたら、わりとスムーズに進んで、全ステージクリアすることができました。


一風簡単そうに見えて、ちょっと頭を使わなければクリアできないステージもあり、何より4匹の敵キャラの動きの特徴を理解していないとシンプルなステージでも簡単に敵にやられてしまいます。その4匹の敵キャラの中で一番やっかいだったのがオタピョン。チュン君がジャンプすると、オタピョンも同時にジャンプしてくる。他の敵キャラはジャンプで飛び越えることができるのですが、オタピョンに向かってジャンプすると向こうもジャンプしてくるので空中衝突みたいな感じでやられてしまいます。あれを見るといつもキット対カールのターボジャンプ対決を思い出してしまうのですが(苦笑)、このオタピョンの動きを操るコツを掴めば、ステージのクリアが楽になります。最終ステージはかなり複雑なルートになっていて、クリアするのに時間がかかりましたね。


昔は、ノロい動きに耐えれなかったが、むしろこのノロさがこのゲームの最大の魅力だったんですね。大人になってからようやく気づきました(笑)。これがエニックスのゲームだったなんて今ではちょっと信じらないところもあるのですが、30年前のゲームと言えば、まだフィックス(固定画面)のアクションゲームが定番でしたよね。30年経っても時々懐かしくなってやりたくなりますね。




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ファミコンが発売された1983年にテレビで放送されていた特撮は、「科学戦隊ダイナマン」「宇宙刑事シャリバン」「ペットントン」「アンドロメロス」。シャリバンは当時ゲームウォッチがあってよく遊びましたが、これらの作品がファミコンソフトになることはなかった。とくに宇宙刑事シリーズのファミコンソフトは期待していたのですが、やはり、後のファミコンブームに間に合わなかったのか、ゲーム化されずに終わったのがとても残念でした。もしあの時、宇宙刑事のファミコンが出ていたら、それはもう毎日夢中になってプレイしたに違いない。ダイナマンがもしゲーム化されていたら、ボンバーマンのようなスリリングな爆発アクションゲームになっていたかもしれないですね(笑)。


特撮のファミコンゲームは、ファミコンブーム全盛の1985~87年頃は、あまり見かけたことがなく、ほとんどやった記憶がないのですが、ディスクシステムのほうで出た「仮面ライダーBLACK」のカートリッジを買って、ツインファミコンでよく遊んだ思い出があります。仮面ライダーやウルトラマンのファミコンゲームは、88年頃から結構見るようになり、90年代に入ってようやく戦隊やメタルヒーロー(当時放送していた作品)もファミコンゲーム化されていたみたいです。ということで、今回は、特撮のファミコンタイトルをいくつかご紹介致します。






仮面の忍者赤影



赤影と言えば、1967年に放送された忍者ものの特撮作品ですが、このゲームは、1987年に日本テレビで放送されたアニメのゲーム版で、1988年にアニメを製作した東映動画から発売されたものです。ちなみに、アニメ版の声優は、赤影=古川登志夫、青影=野沢雅子、白影=玄田哲章という豪華なメンバーだったんですよね・・・。ゲームの内容は、横スクロールのアクションゲームで、赤影、白影、青影の3人のキャラを切り替え使用できる。刀や手裏剣、爆弾、地雷、ブーメランなどの武器を使いながら敵の忍者と戦い、最後に現れる大ボスを倒せば、ステージクリアとなる。赤影のジャンプ力が爽快でした。


タイトーの「影の伝説」やジャレコの「忍者くん」など、ファミコンの忍者ものと言えば、テンポの良い快活なアクションゲームが定番だった。このゲームもそのうちの一つに入ると思いますが、若干おかしな仕様も見受けられましたね・・・。







鳥人戦隊ジェットマン



戦隊シリーズ初のファミコンソフト化となったのは、1991年に放送された「鳥人戦隊ジェットマン」。横スクロールのアクションゲームで全6ステージあり、ステージと戦士の選択ができる。レッドホーク、ブラックコンドル、イエローオウル、ホワイトスワン、ブルースワローの5人の戦士の中から好きな戦士を選び、レッドとブラックはブリンガーソード、イエローはウイングガントレット、ホワイトとブルーはバードブラスターと、それぞれ武器を使って雑魚兵や奇怪な生物などの敵を倒しながらひたすら進める。


ステージの最後は、巨大ロボ戦になり、グレートイカロスがバイラムの次元獣と対決します。タイトル画面では、主題歌と同じBGMが流れますが、プレイ中の画面は、オリジナル。ロボの合体シーンの再現など、凝っているところもあり、戦隊ファンには、魅力的な作りになっていたが、テレビのような緻密なストーリー性があればなお面白くなったかもしれませんね。戦隊内恋愛展開を入れろとは言いませんが・・・(苦笑)。






特救指令ソルブレイン



メタルヒーロー初のファミコンソフトは、ジェットマンと同じく1991年に放送された「特救指令ソルブレイン」。海外版のファミコン(NES= Nintendo Entertainment System)で発売された「シャッターハンド」をソルブレインのキャラクターに差し替えた縦横スクロールのアクションゲーム。全7ステージで構成され、ステージを選択できる仕様になっている。ステージの途中に置かれているパーツボックスの中にオプションパーツが隠されており、3つのアルファベットの組み合わせによってレーザー、火炎放射器、グレネード弾など8種類の武器が使用できたり、特殊な操作が可能になります。


90年代のファミコンともあって、グラフィックは当時のものとしてはかなり出来が良く、アクションゲームとしても中々優れた内容になっていると思うのですが、敵の攻撃が激しかったり、ダメージ床や空から岩が降ってきたり、他にも多様な仕掛けがあって激ムズとは言わないまでも難易度はそこそこ高い。作品の世界観とは大きくかけ離れていますが、むしろ、このゲームの世界観を実写特撮化してもらいたいと思ってしまいましたね(苦笑)。メタルヒーローのファミコンソフトはこのソルブレインのみだったようです。メタルダーやジバンもあればやってみたかったな・・・(笑)。





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